ダイヤモンド・オンラインに先々月5日、『社会人になってから「成長が止まる人」の特徴』と題された記事がありました。筆者のレオス・キャピタルワークス株式会社の代表取締役社長・最高投資責任者(CIO)、藤野英人さんは冒頭で次のように仰られています――人生を変える方法は、3つあると言われています。「環境を変える」「時間の使い方を変える」、そしてもう1つが、「付き合う人を変える」です。
此の事につき私なりの意見を申し上げると、先ず一つ目の環境というのは、自ら変えられるものと変えられないものがあります。厳密に言えば時間を経て変えることは出来るかもしれませんが、少なくとも短期間で変えられないものがあると思います。その一つが、自分が大人に成長する過程で置かれた環境です。
それは例えば、「どういう家庭で育つか」「どういう学校に進み、どういう人から学ぶか」「どういう友達を得、どういう先輩の知遇を得るか」、といったことであります。確かに、どれも非常に大きな影響を与えると思います。しかし、自分の人生を変えるぐらいの人というのは、単なる遊び仲間ではないはずです。
やはり、自分が心底「この人は尊敬できる。見習いたい、そういう人間になりたい」と思うような、正に「敬」の心を持てる素晴らしい人との巡り会いが、私は自分自身を変える上で、そしてまた、自分の人生を結果として変える上で最大の要素になると考えています。
自分より優れた人間を見た時その人を敬する心を持つのと同時に自分がその人間より劣っていることを恥ずる心を持つということ、此の「敬と恥」が人を変える一つの原動力になるのです。之については敬があるから恥があるというふうに言えるもので、人間誰しもが持っている一つの良心と言っても良いのかもしれません。
あるいは人との出会いだけでなく、それは書物との出会いでも同じことが言えます。時空を越えて古今東西の偉人達から書を通じ虚心坦懐に教えを乞うといったこともあるでしょう。それも広い意味では、環境と言えなくもありません。
自分を取り巻くあらゆる事柄は、自分を変える一つの要素になり得るのです。先哲より学んだ事柄を日常生活で日々知行合一的に練って行く中で初めて、人間は段々と変わって行けるものだと思います。
二つ目の時間というのは、貴賤貧富を問わず誰にとっても一日24時間、公平に与えられています。それ故、此の時間をどう使うかということが、その人の一生を決めて行きます。例えば、吉田松陰や坂本龍馬の如く非常に短命で早世する人もいますが、彼らは人生をある意味深く生き後世に名を残すことが出来た人達です。
では、彼らのように早世しても尚名を残し得た人物と、我々凡人とを比べた時に一体何が違うかと考えてみるに、私は志と覚悟が決定的に違っているのだと思っています。人間として生まれ、如何なることに志を立て自らの時間を使うか、ということを真剣に考えない人が最近は結構多いように感じます。
限られた時間を如何に有効活用するかとは、中国古典流に言えば惜陰(せきいん:時間を惜しむこと)という言葉があります。此の惜陰を頭に入れて、時間の進む速さとその使い方を考え続けている人は極めて少ないと思います。
我々が子供の時に習った、「少年老い易く学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず。未だ覚めず池塘春草(ちとうしゅんそう)の夢、階前の梧葉(ごよう)已(すで)に秋声(しゅうせい)」や、「年年歳歳花相似たり歳歳年年人同じからず」といった有名な漢詩においても、先哲は此の世の儚さを感慨すると共に、片一方で寸暇を惜しんでいるわけです。
人間というのは儚く何時死ぬか分からぬものであり、人生は二度ない、という真理を先ずは肝に銘じるのです。次にその中で、天が自分に与えた此の地上におけるミッション「天命」を見出し、その天命を果たし行く上で自分の人生の時間を如何に使って行けば良いかを真剣に考える、ということが此の上なく大事になると思います。
昨日の我がグループ入社式訓示でも、新入社員達に此の辺りの話を次のように述べておきました――天命を受けたら先ずは、此の世にこうして生まれたこと自体に感謝をし、元気でいられることに感謝をし、そしてそれが故に、後世への遺産を残すべく研鑽を積み重ねて貰いたい、というふうに思います。そして研鑽を積み重ねる上で大切なことは、時間ということです。
此の全編「2020年 SBIグループ入社式」はYouTubeで閲覧できます。14世紀のペスト及び昨今の新型コロナウイルスのパンデミックにも触れています。御興味のある方は是非そちらも御覧頂ければと思います。
最後に三つ目の付き合う人というのは、一つ目に論じた環境に強く関係しています。ただ上記記事で藤野さんが『人間関係において、お金や時間を「浪費しているな」と感じるのが、同世代や同じ会社での飲み会です』と述べておられるのは、確かにその側面はあるでしょう。
商人の町であった大阪・船場では、「年寄りは若い人、若い人は年寄りを友だちにしなさい」と昔から言われてきました。若者は年長者の経験から学び、年長者は若者の感性から学ぶのが大切だということです。
私自身も新入社員の採用を自ら行って、彼らを育てたい一心で隔週で課題を出しレポートを書いて貰うということをずっと続けています。そういう中で我々が教えるだけでなく、若者の感性から我々が学ぶことが出来ると考えています。
之は書き物を通してではありますが、私にとって大変貴重な時間であります。そうやって互いに学び合うことが大事なのではないでしょうか。そして、それはまた人生を変える一つの要素になるとも思われます。
『後漢書』の禰衡(でいこう)の伝記に次の故事があります――禰衡逸才(いつさい)有り、少(わか)くして孔融(こうゆう)と交わる。時に衡未だ二十に満たず、而(しこ)うして融は已(すで)に五十、忘年の交を為す…禰衡は人並みはずれた才能があった。年若くして孔融と交わった。その時、衡は20歳にならなかったが、融はもう50歳だった。二人は忘年の交わりを結んだ。
忘年会を「年忘(としわすれ)」として誤認している人が大多数でしょう。「忘年」の本当の意味は、「長幼の序を忘れる」「年齢を忘れる」ということです。世代を超えた友情を築くのが本来の姿なのです。「忘年の交わり」は正に、人生を変える一つの要素として非常に大事だと思います。
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