100年前には世界のトップ10か国のひとつにランキングされていたのが、今では劣等国に仲間入りしているアルゼンチンだ。
特に、アルゼンチンについては政治家のレベルは今の日本のそれに匹敵するようで、日本の将来を危惧するのにアルゼンチンの凋落は参考になる。
現在、世界で誰もが手にしている携帯電話。それに必要な原材料にはリチウム、銅、クローム、アルミ、プラチナ、金といった天然資源が必要である。アルゼンチンはこれらすべての資源に富んでいる。また原油や天然ガスの産出国であり、それを埋蔵しているが、まだ十分に開発されていない地域もある。将来原油以上に重要となる淡水も豊富な国だ。そして肉や穀物も勿論トップレベルの生産国である。
これ程に豊な国が戦後8回もデフォルトを犯している。昨年のインフレは50%以上だった。100年の凋落は謎とされている。
アルゼンチンの国土は278万平方キロメートル。その規模は世界9位にランキングされている。人口4500万人。昨年の一人当たりの国民所得は1万7200ドル(187万円)だ。(参照:infobae.com)
およそ1世紀前の1913年を見ると、アルゼンチンは国民一人当たりの所得は上位10か国の一角を占めていた。その成長ぶりはフランスやドイツを上回り、移民の対象にされていた国であった。土地が肥沃で肉類や穀物をヨーロッパに輸出し、当時の若者にとって移民先としてカリフォルニアかアルゼンチンが筆頭であった。(参照:infobae.com/2015/08/21/)
当時のアルゼンチンの一人当たりの所得は周辺国の3倍もあり、投資の対象国にもなっていた。フランスはアルゼンチンの成長が羨ましく、それを皮肉って「アルゼンチンはイタリアからの労働力、英国人からの資本そしてフランスからの智慧によるものだ」といっていたとか。
同様にフランスの作家Paul Motandは「アルゼンチン人は南米を植民地にしたヨーロッパ人だ」と言及した。同じく政治評論家Alan Qouquéは「アルゼンチン人は英国人だと思っているイタリア人で、ジェノバかナポリの訛りでスペイン語を喋る人たちだ」と呼んだ。アルゼンチン人が喋るスペイン語は抑揚が強く独特だ。アルゼンチンの兄弟国とされているウルグアイもそれに似ている。(参照:infobae.com)
第二次世界大戦までのアルゼンチンのGDPは3.7%の成長を示していた。当時のインフレも米国が1.9%だったのに対しアルゼンチンは1.6%であったという。
戦後なぜ「暗転」したのか
ところが、20世紀の半ばになると様相が一変するのである。成長は鈍くなり、最近10年間はインフレが平均して40%を記録するようになっている。財政赤字も戦後急激に増えた。(参照:libremercado.com)
共和国市民基金の会長がその一つの要因として指摘しているのはGDPに占める公的企業が6割を占めているということを挙げている。
この要因をつくったのはペロン将軍だ。戦後、アルゼンチンの景気が低迷している時にペロン将軍が1946年から大統領に就任してから公共事業で経済の回復を図った。公共投資を積極的に実行した。それで経済は回復したかのように見えた。それによって雇用も増えた。
ところが、その一方では財政支出が急増していた。しかも、ペロンは経済回復を主に国内で産業を興して達成しようとした。その一方で輸出の促進にはあまり目を向けなかった。だから、財政の回復に必要な外貨の獲得が十分に行われてなかった。それでも、経済を立て直したペロンはその後戦後のアルゼンチンの救世主のごとく遇された。そして彼を称え、彼の政治を遂行しようとして政党「正義党(ペロン党)」が誕生した。
アルゼンチンのその後の問題はペロンの公共資金のばら撒き政策を今まで実行して来たということである。ポピュリズム政治である。それを容易にしたのも戦後のアルゼンチンの政権を担ったのは正義党だということ。正義党以外の政党が政権に就いたのは3度しかない。それも短期の政権で終わっている。それと軍事政権である。それ以外はすべて正義党が政権を担って来たということで同党の根底には常にポピュリズムが存在しているということだ。
昨年まで4年政権を担っていたマクリ大統領は正義党ではない他政党出身者であったが、昨年12月からまた正義党に政権が復帰した。しかも、副大統領に就任したのはマクリの前に大統領だったクリスチーナ・フェルナデスで、彼女が政権を終えた時のインフレは40%超えていた。アルゼンチン経済を疲弊させた。それでもまた副大統領として政権に復帰しているのである。
日本と同じく改革できずに行き詰まり
日本が長く自民党が長期政権を担い、政治改革が出来ないのと同じような現象がアルゼンチンでは戦後繰り替えされている。
マクリが政権に就いて前大統領の悪化した財政を立て直そうとしたが、抜本的な改革を実行することが出来ず、インフレが更に増加して政権を終えたときにはインフレは50%を超えていた。
アルゼンチンは公共事業が多くの市場で支配して来たため、他の国で見られる企業競争をする市場が比較的少ない。よって、企業は必要とあらば商品の値上げをすることは比較的容易なのである。それが起因で物価指数が上昇してインフレが常に上昇する傾向にある。
またそれに輪をかけるかのように、労働組合が力をもっている。インフレにスライドして給与の値上げを経営者側に要求する。それが受け入れられない場合はストライキをするのある。この悪循環を正義党は改革することができないでいる。
更にインフレが上昇する理由には財政支出の削減をしていくのではなく、景気回復に必要なだけで紙幣を市場に供給するという愚策を繰り替えし実行している。これなども形は違えど日本政府も同じようなことをやっている。
アルゼンチンでペロン将軍を救世主という地位から下ろして、抜本的に財政支出の削減を徹底して実行できる政権が誕生しない限り、アルゼンチンの成長は期待できない。