みなさま、こんにちは。一昨日久々に手を付けたブログですが、中断している間に、様々な動きがありました。6日は全国小学校の入学式があったと思ったら、同日夜は緊急事態宣言の予告があり、7日夕方、安倍総理より、東京、大阪、福岡をはじめ6都市を対象に緊急事態宣言を出すとの発表がありました。いよいよコロナとの戦いも新たなフェーズに入ります。この1か月で感染を下方に収束方向に向かわせるのです。
思えば3月はほぼ毎日、終日、予算委員会、そして党本部ではコロナ対策会議で、あっという間に時間が過ぎたという感じです(しかし、全く動かず座り続けた結果体重はしっかり増加)。習近平国家主席が1月20日に重要講話を行い、23日に武漢が封鎖されて以来ずっとコロナのことを考えてきて、書きたいことは山のようにあったのですけれど。
1. BC(紀元前)とAD(紀元後)くらい違う「コロナ後の世界」
なんといってもこのコロナ危機は、メルケル首相の言葉を借りるまでもなく第二次世界大戦以来の世界が直面する最大の危機です。行き過ぎたグローバリズムに対する逆襲のごとく、世界中の国を「鎖国」化してヒトとモノの移動を止め、世界経済を縮小させ、自国ファーストの風潮の危険性を広げています。
そして、米中新冷戦が始まっていた中で、コロナとどう戦ったか、どれぐらい人的被害や自国経済へのダメージを抑えられたか、其の後どう回復するかにより、各国の国際的序列も国際秩序の在りようも変わり得ると思います。
「コロナ後の世界」がどうなっていくか。
おそらく欧州からアジアへのパワーシフトが加速する可能性があります。EUはEUとしての一体性が保てるかどうか試練の時です。各国が経済の自立性の重要性に目覚める結果、サプライチェーンの在り方も変わっていくでしょう。中国は引き続き強大でしょうが、中国頼みではないサプライチェーンと自国回帰の流れは多かれ少なかれ多くの国で起きることだと思います。
「閉じた世界」に向かう面がある一方、あらゆる分野においてデジタル化が劇的に進展する可能性があり、新たなマーケットや新たなサービスも進展していくことでしょうし、そこでの勝者となることが次の時代の勝者となることになるでしょう。米中のデジタルブロックもできるかもしれませんが、同時に、そこには縛られない新たな世界を模索する動きも強まるように思います。
そして、まるで第一次世界大戦と第二次世界大戦の間の戦間期のような「自国ファースト」と保護主義の世界になるか(このブログでも過去にも何度か書きましたが、ここ数年その雰囲気を濃厚に感じます)。逆に、このコロナ危機を乗り越えるにあたり国家が協力し、国際的な協力、国際協調の機運が再醸成することができるか。それはなかなか難しいことだとは思いますが、できるとすれば、実は、オリパラ開催国であり、米国の同盟国であって、中国とも関係改善中の日本の役割は結構重要なのではないか、と思うのです。
何より心配なのが、米中新冷戦は激化する可能性が高いと思うのですが、残念ながら米国の方が中国よりも被害が大きくなり回復に時間がかかる可能性が高いので、米中関係がコロナ後どうなっているか予断を許しません。
各国自身も変化する可能性があります。米国ではたとえば皆保険制度の重要性が認識され、社会主義的価値観と孤立主義的傾向が強まるかもしれませんし(大統領戦にどういう影響が及ぶか)、中国では、当局の情報統制に対する中国国民の懐疑が強まり、共産党一党独裁が形式としては変わらないとしても、より国民の目を意識した強権的でない(より民主的な)政権運営が必要となるかもしれない。
だからこそ、中国政府は、自国の体制(集権的国家主義体制)の優越を披歴して外交面ではより積極的に進出しようとするかもしれない。
実際、中国は、Health Silk Roadと称して(これは数年前から中国が提起しているコンセプト)、ここぞとばかりに危機にあるイタリアやイランやアフリカなどへの医療支援を行っています。中国がコロナウィルス発生源のはずですが、まるで救世主のよう。
コロナ危機が長引くほど変化は大きくなります。「コロナ後の世界」は、「コロナ前の世界」とはBC(紀元前)とAD(紀元後)くらい違う可能性だってあるのです。
日本がそこに向けて、次の時代に合った「脱皮」ができるかどうか、日本の浮沈がかかっています。中国は、ここぞとばかりに「自分たちのような強権的な国家主義体制の方が危機に際して有効でしょう」と宣伝しているわけです。先に危機から脱出したことをアドバンテージに中国の影響圏をどんどん広げていっています。
そして、遠隔診療はじめ様々なデジタルサービスを飛躍させ、次のデジタル時代の覇権を握る準備を着々としています。実は、強権的対応をした方がコロナ危機を上手く早く脱することができたということになれば、民主主義に対する懐疑はより大きくなるかもしれません。コロナ危機の陰では自由民主主義と集権的国家主義の相克があるのです。
自由な民主主義国の日本が死亡者数を抑え経済ダメ―ジをコントロールして、これまでの旧弊を排してデジタル時代に合った社会経済に脱皮できれば、コロナ後の世界において日本の立ち位置が向上する可能性だってあります。逆もまた然り。
そして、日本は、今、自国内対策で大変ではありますが、それでも、コロナ危機に喘ぐ途上国に対して様々な可能な支援を行っていくべきだと考えます。できれば米国他も巻き込んで。また、G7はじめ各国やWHOといった国際機関との協調を通じて問題を解決する機運を醸成するイニシアティブをとるべきだと考えます。それは、「中国だけが頼りになる」世界を作らないということであり、コロナ後の世界の秩序に関わる問題です。
2. 日本のコロナ・ストラテジーと緊急事態宣言
日本は、あれこれ各国から批判されたりしながらも、実は、これまで上手くコロナと戦ってきました。中国の隣国で何百万人もの入国者がありながら、①4、5か月たった今まで感染爆発を起こしていない、②死亡者数が極めて低く抑えられている(人口比率でいえばシンガポールとほぼ同じ)のは、評価されて然るべきです。
コロナ危機で回避すべき究極の目標は、結局、「死なせない」ということなのですから。死なない場合は、①感染していないか、②感染しても軽症又は無症状、または③感染したが回復した、のいずれかなのです。
これは、医療関係者の献身的な努力、アクセスの良い日本の皆保険制度の下での医療制度、国民の高い衛生意識(幼稚園の子供でもうがい手洗いをするのが習慣化している)ことに負うところ大です。私はメディアや国会(予算委員会や外交防衛委員会)などでも、死亡者数(対人口比死亡率)こそ重要な指標であり、日本はもっとこの点を国際社会にアピールするべきだと訴えてきました。
各国にはそれぞれ適した戦い方があります。国自体大陸のオーストラリアは水際対策を徹底する、検査能力の高い韓国は徹底的に検査して「早期発見、早期治療」、検査能力は低いが医療体制と国民の衛生意識の高い日本は、検査拡大に重きを置かず、クラスターつぶしと重症者重視で医療崩壊させないストラテジーでした。
しかし、東京で3桁の感染者が連日確認されるようになり、東京は、感染爆発の途上にいることが明らかになってきました。新たなフェーズに入ったということです。戦い方も変えてねばなりません。細く長く戦ってきた負の遺産として、自粛による経済的なダメージが続いています。(この点、「アジアの問題でしょ」と他人事だった欧州は、3月からしか実質的被害にあっていないので、甚大な被害にあっていますが日本に比べれば自粛期間は短い。)
総理は、緊急事態宣言の中で、2週間でピークを反転させ、この1か月で収束させることを目標と宣言しました。連休明けに反転攻勢フェーズに入るためにもこの1か月、対象の国民一人ひとりが徹底的に努力し、接触を8割減にする。それによってこの1か月でコロナを収束させる、同時に医療崩壊させないために入院キャパを格段に上げる、そういう戦い方に。そして、安心してそのような行動を各人、企業が取るためには、生活と経済の支援が必要なのは当然のことだと思います。
政府は今回、所得が半減した世帯についての一世帯当たり30万円の現金給付、中小企業200万円まで、小規模事業者100万円までの給付も含む108兆円の緊急経済対策を発表しました。まだ詳細不明なところもありますし、もっと対象が広くて良いのではと改善を求めたいところもあります。
が、試行錯誤ではあるもできることをやっていこうということだと思います。改善は求めるとしても、ともかく、医療崩壊を起こさずこの国難を乗り切るため、協力して取り組んでいきましょう。コロナ後の日本の立ち位置も、この1か月に我々一人ひとりがどう振る舞うかに負うところ大です。
編集部より:このブログは参議院議員、松川るい氏(自由民主党、大阪選挙区)の公式ブログ 2020年4月7日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は、「松川るいが行く!」をご覧ください。