緊急事態宣言・西浦モデルの検証(4月10日)

篠田 英朗

8割の行動制限の根拠を説明する西浦博教授(ツイッター「新型コロナクラスター対策専門家」より)

安倍首相は、4月7日の非常事態宣言会見の際に、次のように述べた。すでに以前に指摘したように、西浦博教授の理論に依拠した発言である。

東京都では感染者の累計が1,000人を超えました。足元では5日で2倍になるペースで感染者が増加を続けており、このペースで感染拡大が続けば、2週間後には1万人、1か月後には8万人を超えることとなります。しかし、専門家の試算では、私たち全員が努力を重ね、人と人との接触機会を最低7割、極力8割削減することができれば、2週間後には感染者の増加をピークアウトさせ、減少に転じさせることができます。

東京の感染者累計が1,000人を超えたのは、4月5日で、1,032人あった。3月31日には521人だったので、確かにほぼ倍増していた。ところで4月5日から5日して、東京の総感染者数は倍増しただろうか。連日の「最高数」の報道でやや異なる印象を受けている方もいらっしゃるかもしれないが、4月10日現在の累計感染者数は1,708人なので、5日間で7割弱の増加率にとどまった。

もっとも、東京の場合には週末に検査を実施しない医療機関が多いため、週の初めの感染者の数が低く集計される。そこで7日単位で見てみるとどうなるだろうか。4月3日は773人だったので、4月10日までの1週間で2.2倍の増加である。これに対してその1週間前の3月27日は299人であったので、そこからの1週間で2.58倍の増加だった。やはり最近の1週間の増加率は、鈍化している。

ちなみに129人だった3月20日からの1週間の増加率は2.3倍、77人だった3月13日からの増加率は1.6倍、58人だった3月6日からの増加率は1.3倍だった。

それより以前の東京の感染者数は数が小さすぎて統計的な意味を失ってくるので、2月下旬からの日本全体の推移を見てみよう。

John Burn-Murdoch/Financial Timesのデータ)

症例百件目以降の日数と累積感染者数を「片対数スケール」のグラフである。増加率の様子がわかるものである。

日本(Japan)の場合には、累積感染者数が100人をこえた2月23日が起点となっている。日本の場合には、基調として一週間で倍増のペースだったが、20日目の3月15日あたりから増加スピードの鈍化が見られる。

2月24日に新型コロナウイルス感染症対策専門家会議が出した「今後2週間が急速な拡大に進むかの瀬戸際」という見解を受けて、安倍首相が3月2日からの学校の一斉休校要請を打ち出したのが2月27日だった。その時期から、ほぼぴったり、潜伏期間である2週間がたった3月15日頃から、増加率の鈍化が始まっていたわけである。ただし日本全体でも、現在、この傾向は、1週間で倍増のペースに急速に戻している。

すでにみたように東京に限ってみても、3月中旬の増加率は低く、「気が緩んだ3連休」の結果が出てきた4月に入るところで感染者数の増加が見られる。東京に限って言えば、3月25日小池都知事記者会見の効果が見られるかもしれない時期になってきたところで、増加率の悪化は食い止められ始めている。

ウイルスの蔓延の傾向は、「1日何人増加」だけ見ていては、わからない。むしろ感染者が100人しかいない時の1日100人増加と、感染者がすでに1,000人いる時の1日1,000人増加が、増加率の観点からは、同じである。毎日毎日ゼロからやり直すわけにはいかないのである。市中の感染者数は常に増えているので、ある週の新規感染者数が、前の週の新規感染者数を下回る、というのは、よほどのことがないと起こってこない。欧米諸国は、血みどろの努力を数週間続けて、なかなかその段階に至れない。

いずれにせよ安倍首相が「足元では5日で2倍になるペースで感染者が増加を続けており」という認識表明は、実は専門家の助言を受けたとは思えないほど、大雑把なものだった。「このペースで感染拡大が続けば、2週間後には1万人、1か月後には8万人を超えることとなります」という安倍首相の東京都の状況見込みは、今後どうなっていくのだろうか。

さて、「西浦モデル」の特徴は、「放っておけば急激な拡大」を予告する反面、人の移動を「8割減少」させれば感染者数も急激に減少する、と予言していることである。これを受けて安倍首相は、「2週間後には感染者の増加をピークアウトさせ、減少に転じさせることができます」とまで言った。

これはかなり大胆な発言だった。実際、その後にもっとも論争を巻き起こしたのは、この点だった。

より厳しい措置をとっている欧州諸国を見ても、なかなか新規感染者数の減少すら果たせていない。安倍首相の発言は、現実に挑戦する大胆な発言であった。

安倍首相の発言は、西浦博教授のモデルに基づいている。

「欧米に近い外出制限を」 西浦博教授が感染者試算(日本経済新聞)

日経電子版より

しかし前回も書いたように、佐藤彰洋・横浜市立大教授(データサイエンス)は、「東京都の場合、公共交通機関の乗車時間と面会する人数を各個人が98%減らす必要」があるという記事を毎日新聞に出した。福岡なら、99.8%の削減が必要である。

社会運動家化する「専門家」たちの「責任」

別のロンドン在住の日本人研究者の方も、「8割削減」の極めて限定的な効果を試算している。

私にはこの方の試算や、そもそもの考え方のほうが現実的であるように感じる。

安倍首相の会見の大枠は、医療関係者への謝意と称賛で始まり、緊急事態宣言の目的を「医療崩壊を防ぐ」点に置くものだった。私は社会科学者として、この目標設定を明確かつ妥当なものだと感じている。

ところがなぜか、会見の途中で、その目的とどう論理的に結びつくのかは必ずしも判然としない「西浦モデル」にもとづく、厳しい現状認識と、楽観的な収束への道筋まで示されてしまった。

池田信夫氏は、安倍会見のこの部分を「ギャンブル」と呼んだ。

いずれにせよ緊急事態宣言の大きな試金石の部分だろう。