三浦瑠麗氏のアフター・コロナ論に異論あり

高橋 克己

アフター・コロナ論議が盛んだ。が、この論議は新型コロナウイルスの正体の解明と「免疫を持てるか」や「ワクチンは何時できるか」など、要すれば「人類がそれを何時どの様な形で克服するか」によって大きく左右される。従い、その前提の抜けた論議は空論になってしまう。

論議の多くは「元に戻らない」との結論だ。歴史を振り返れば14世紀の黒死病も20世紀初めのインフルエンザ禍も、根絶か共存かは別として人類はそれを克服し発展してきた。問題は半年か1年かそれ以上掛るかの時間軸と、国や個人それぞれにとっての「元」が何かということか。

22日の産経は「帝国アメリカの終焉とアフター・コロナ そして中国は動き出す」との三浦瑠麗氏の論考を載せた。この気鋭の国際政治学者はしばしば筆者に「鵺」の語を思い出させる。この論考もそうだが、浅学な筆者にはこの方の論の部分は理解できても、結論や寄って立つ所が判然とせず落ち着かない。

三浦瑠麗氏(「朝まで生テレビ」より:編集部)

多くのアフター・コロナ論議が、テレワークやデジタル消費の普及、インバウンド減少や傷んだ経済の修復長期化など国内に目が向いている中、三浦氏が国際政治学者らしい視点で語ろうとなさっていることには敬服しつつ、以下に異論を述べてみたい。(一部引用の要約あり)

三浦氏は冒頭で「アフター・コロナの世界は、先進国が生み出す問題に苦しまされるだろう。西側先進国はさらに沈みつつあり、自分たちが作り上げたはずの国際協調に背を向けている」と述べているのでこれが結論なのだろう。が、そうすると浮かび上がるのは「中国」ということか。

続けて「先進国の労働者はグローバル化によってすでに相対的な優位が揺らいでいる。決して取り戻せないその優位を回復しようとして、かえって民衆は国力を弱める方向へと政治を押しやりがちだ」とする。前段には同感するが、「その優位」は果たして「決して取り戻せない」のか。

そして「西側先進国の人びとがグローバル化に背を向けたからといって、中国を筆頭にそれ以外の諸国がグローバル化を否定するわけではない。危機が終わってみれば、サプライチェーン網が若干組み換えられる以外は、グローバル経済に復帰するだろう」という。前段は首肯するが、なぜ後段の結論になるのか。

次に「グローバル経済への復帰と格差拡大」との項で、戦争と違い設備が破壊される訳ではないコロナ禍では、アフターでも設備投資は拡大せず、「銀行や国家のようなリスクの引き受け」手が傷み、「資金が回らない」ことによる経済の停滞が「先進各国に起こるだろう」とする。

そして「ロックダウンをやめ、コロナ禍を早く終わらせたうえで危機をチャンスに変え、教育や健康分野に大幅に投資するような分配策へと切り替えるなら」、「格差が縮小する可能性は高まる」が、「現状各国政府が取っている方策*は経済の規模縮小を長引かせ」、「戦後復興期のような格差縮小」は起こらないと述べる(*対症療法的方策)。

次の項では、「米国主導の世界はもはや存在していない」、「トランプ大統領が再選される可能性も高い」が、米国はコロナ禍では「まるで存在感がなく」、「WHOへの拠出金停止などの人気取りは国内向けの論理でしかなく、むしろ中国の国際的関与がすでに高まっている」とする。

米国で「中国バッシングが盛り上がっても、それはお祭り花火のようなもの」だが、「人種差別的な言説や行為が欧米に広まった以上、中国国民はナショナリズムを刺激される」とし、「中国は米国経済に依存し続けることの高すぎるリスクを悟り、独自の経済圏を築く取り組みを早めるだろう」とも述べる。

米国は「対テロ戦争で国力を無駄に費消」し、「世論はこれまでにないレベルで内向き化」して、「2000年代の中国台頭に適切に対処することを怠」った。そこへコロナ禍が生じたが、「先進国が経済を止め続ければ、我々自身が恐慌に直面するし、新興国の低所得者層は感染症よりも経済によっていっそう苦しむ」という。

そして論考は、「こうしたすべてのことは、人為的に行われているのだから、防ぎようのないこととは思われない。日本はせめて、いままでそれなりに成果を上げてきた中庸な対策を取り戻し、アフター・コロナの世界に備えてほしいと思う」と結ばれている。

やはり部分は理解出来ても結論は難解だ。つまりは、アフター・コロナの世界は欧米先進国が沈み、中国とその一帯一路で繋がった途上国が浮かび上がる。日本が沈まないためには「中庸な対策」でなく、「ロックダウンをやめ、コロナ禍を早く終わらせたうえで危機をチャンスに変え」よというのだろうか。

が、このウイルスは、陰性になったはずの人が「再感染」したりして(体内に残っていた説あり)、免疫やワクチン創製など不明な点がまだ多い。いま世界で行われているロックダウンや自粛は、全容を知るための「壮大な人体実験」だ。ならば「ロックダウンをやめ、コロナ禍を早く終わらせたうえで危機をチャンスに変え」よなどと簡単に語れるものではなかろう。

多くの民主主義国家は中国のような共産党一党独裁国でないから、人口の半分が失われても残った半分は飢えが凌げる、などと毛沢東のようには考えない。だから飽くまで救える命を救う努力をする。アフター・コロナの世界でそのような「中国が浮上する」ことがあってはならない、と筆者は思う。

アフターも「サプライチェーンの組み換えが若干組み替えられるだけで、グローバル経済に復帰する」と三浦氏が述べる点は、この論議最大の論点だ。グローバル経済の弱点こそ、今回のコロナ禍が曝け出した最重要トピックだ。筆者は「元のままの」グローバル経済に戻らないことを望む。

とはいえ中国が共産党一党独裁でなくなるなら話は別だ。三浦氏は「人種差別的な言説や行為が欧米に広まった以上、中国国民はナショナリズムを刺激される」と仰るが、各国は中国国民を差別も非難もしてはいない。批判の対象は習近平であり中国共産党だ。そこをゴッタにしてはなるまい。

「中国は米国経済に依存し続けることの高すぎるリスクを悟り、独自の経済圏を築く取り組みを早めるだろう」が、この逆もある。米国はコロナ禍以前からだが、欧州もここへきて医療物資の中国への「病的な依存」を問題視し始めた。早晩、医療物資以外に広がる可能性があろう。

Gage Skidmore/flickr、Wikipedia:編集部

「米国の中国バッシング」も正しくない。それは習や共産党への批判だし、しかも米国に限らない。マクロン仏大統領、メルケル独首相、ジョンソンを代行するラーブ英外相、ペイン豪外相などが挙って北京の隠蔽とそれを擁護したテドロスを難じている。米国ではミズーリ州まで中国の政府、共産党、関係当局を訴えた。

「WHOへの拠出金停止などの人気取りは国内向けの論理でしかなく、むしろ中国の国際的関与がすでに高まっている」との三浦氏の論も首肯しがたい。むしろ、高まり過ぎた中国の国際的関与に対して、すでに国際社会がその是正に動き始めている、というのが目下の趨勢だろう。

それは本年3月の世界知的所有権機関(WIPO)の次期事務局長選挙で、有力視されていた中国の王彬穎次長でなく、シンガンガポール特許庁長官ダレン・タン氏が当選したことに現れる。国連など国際機関の中国による壟断ぶりは15日の米紙「Politico」が詳報した。

朝鮮日報すら20日、このPolitico記事を「影響力伸ばす中国、国連傘下15機関のうち4機関でトップ務める」と要約報道し、19日のAFPも「中国が台頭する国連機関、米WHO拠出停止は『好機』か?」と報じた。朝鮮日報は同じ20日に「新型コロナでボロが出た…『植物機構』に転落した国連とWHO」とも報じている。

WHOへの拠出停止がトランプの「国内向けの人気取り」かどうかは措き、それが国際社会の目を、国連食糧農業機関、国際民間航空機関、国連工業開発機関、国際電気通信連合(ITU)のトップを占める中国の壟断に向けさせたことは間違いない。ITU趙事務総長には昨年4月にフォーブスが報じた華為の5G拡大に立場を利用した疑惑もある。

この機にテドロスを降ろせないようなら、また「国連を中国の経済的利益の促進、反対意見と民主主義の抑圧、法の支配による秩序の空洞化を含む、中国の外交政策アジェンダの舞台に進化させた北京」(Politico)を看過するなら、アフター・コロナは三浦氏のいうような世界になってしまう。

以上、浅学を顧みず、気鋭の国際政治学者に異論を申し上げた次第。