録画して放置していたNHK「プロフェッショナルの流儀」楽天 三木谷浩史をみる。面白いくらいに、面白くなかったというのが率直な感想だ。「異端児」というキャッチコピーだったが、言っていることと、やっていることが違う。
例によっては日本はこのままだとまずいと言うのだが、やっていることが別にオリジナルではなく、ほぼ常に後発。スピードと強力なガバナンスを生命線にすること自体が、旧来の日本企業そのものじゃないかと思ったり。観察対象としては面白かったが、9割共感しなかった。彼と一緒に働いていた人、同級生だった人は私の周りにいるのだけど。お会いしたことはないし、会うこともないだろう。「あとに続く人がいたらいい」と言っていたが、私は、ああはなりたくないと思った。
1割だけ共感したのが、父親との関係である。まあ、いかにもドキュメンタリーのためのストーリーなのだろうが。父親のサポート、アドバイス。もらった言葉を彼は大事にしている。そういえば、楽天が世に出た頃、研究者クラスタからは「まだまだ親御さんの方が有名だよ」と言われたことがあったっけ。
このドキュメンタリーを見たのが、4月28日に、つまり昨日であり、私の父の命日だったことは偶然のような必然なような気がする。なんせ、中身を知らずに、「見て消す」録画した番組の一つだったのだから。
4月は人生について考える月である。新しい期の始まりであるし。この1ヶ月間で、カート・コバーン、尾崎豊、hideの命日が一気にやってくるし。なんせ、父の命日も。そして、彼らより長く生きてしまったことについて色々考える。
何度も書いていることだし、この年齢になって父のことを書くのもなんだけど。39歳で脳腫瘍で亡くなった父と、私は11年しか一緒に生きていない。晩年は寝たきりで入院していたので、ずっとそばにいた期間というのは短く。もっとも、タバコとコーヒーが好きで、大量の洋書に囲まれていて。選挙速報の番組にかじりつく。小学校で「家族にお手紙を書こう」という企画があり。病室の父に手紙を「少年野球のチームに入った」という内容の手紙をおくったら、この上なく、わかりやすく、かつ重厚で、論理的な文章が届いたことを覚えている。
一方、35年も父がいない生活をしていると、「こんなときに父がいたら」と思う瞬間はまったくなく。いや、父が生き延びているイメージも申し訳ないが、なかったりもする。
父のことを思い出してコーヒーを入れてみた。ネスプレッソで、ミルクをたっぷり入れ。だめだ、軟弱だ。半身不随の父のかわりに幼い頃によく使った、コーヒーミルのことを思い出したりもした。
さて、平日、ずっと保育士状態だったので、今日は1日書斎にこもる権利を行使。今の娘くらいの年齢の頃、よく父と母の書斎に侵入したことを思い出したり。
さ、仕事。残るアウトプットをする。
編集部より:この記事は千葉商科大学准教授、常見陽平氏のブログ「陽平ドットコム~試みの水平線~」2020年4月29日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。