コロナウイルス感染拡大のせいで、760余の全国の大学はこの時期、ほぼ開店休業状態にある。筆者の勤務する国立大学もその例外ではない。5月から実施される初の全学オンライン授業開始を睨みつつ、全教職員はそれまで原則として自宅待機を余儀なくされている。
火曜日(4月28日)、たまたま所用があって大学に出て来たら、タイミングよく取材の電話がかかって来た。依頼主は仙台のローカルテレビ局で、大学の秋入学について専門家のコメントが欲しいという。
私は恥ずかしながら知らなかったのだが、宮城県の村井嘉浩知事が前日「27日の定例記者会見で、『入学、始業を9月にずらすのも大きな方法』と私見を述べた」という。学力格差の解消、国際化の推進を利点に挙げた上で、賛同する知事を募り、国に働き掛ける考えも示したのだとか(いずれも河北新報より)。
なるほど、と思わず膝を打った。日本でこれまで大学の秋入学が進展しなかったのは、3月の高校卒業から、例えば9月の大学入学時まで、半年のタイムラグをどうするかが大きな障壁となっていたからだった。
空き時間を使ってボランティアをしたり、留学をしたりすれば良いではないかという、いわゆるギャップタームという考え方が紹介されたりしたものの、ではその間の経費は誰が支弁するのかという風に今度は経済の問題になってしまう。知事の提案はそれを埋めるものだ。
2011年7月、東京大学が全面的な秋入学を検討しているというニュースが流れ、秋入学導入に関する国内世論は一旦大きく燃え上がった。当時、私自身も大阪大学で秋入学によるコースを一部開設し、その周知広報と学生集めに奔走していたので、全学的な秋入学の導入がどれほどの困難を伴うものかよくわかる。結果として、東大でも阪大でもその他の大学でも、一部の外国人学生(高校生)は日本の大学の秋入学を歓迎したものの、日本人は生徒も親も教師も全く関心を示さず、議論はそのうち立ち消えになってしまったという経緯がある。
しかし幸か不幸か、コロナウイルス感染拡大のせいで(おかげで?)、卒業から入学までのタイムラグは事実上の休校という、望まざる形で埋まってしまった。5月からの授業を全面的に取り消した上で改めて準備を整え、秋からの本格的な授業開始を実施すれば念願の秋入学が実現する! 災い転じて福をなすとはまさにこのことである。
村井知事が言うように、秋入学最大のメリットは留学のしやすさによる国際化の進展である。広く世界を見渡せば、圧倒的な数の国、大学が秋入学を実施しており、その中には中国やアメリカ、イギリスなどの欧米諸国も含まれる。春入学の日本は完全に少数派で、それゆえに諸外国から留学生を迎え入れるのも、日本人学生を海外へ留学させるのも、タイミングが非常に難しいのだ。昨今の学生は海外に関心がない、行きたがらない。そうしてまことしやかに囁かれる「今の若者は内向き」論は正確ではなく、実はシステムの問題が大きかった。
村井知事による今回の提言では、秋入学を実施するのは大学だけではなく、小学校から高校まで全てが含まれるようだ。だとすると、中学や高校段階での海外留学も確実に増えるだろう。国際化を担うのは何も大学だけではない。実に喜ばしいことである。
余り知られていないが、そもそも日本には秋入学の歴史がある。明治時代にヨーロッパの制度を真似てわが国にも大学が作られ始めてから(例えば東大は1877年)、財政年度という考え方が取られるようになった1921(大正10)年までの40年余り、大学は長らく秋入学だった。今のような4月入学になったのは、政府の財政年度に合わせるという便宜上の手段に過ぎない。
けれど、それゆえに、恒久的な秋入学への移行やその実施については政府の抵抗が途轍もなく大きいだろう。1921年以降、政府の財政年度と歩調を合わせた今の4月入学の慣習は、少なくとも国内的な視点で見る限り、疑問の余地のない効率的なシステムとしてすっかり完成してしまっている。一難去って、また一難。子供(生徒、学生)にとってのタイムラグの問題は思わぬ形で解決しても、役人にとって最重要の仕事である予算と決算のタイミングという問題は依然として残る。
ただ、時限立法で当面の秋入学を緊急避難的に実施することについては、その可能性はゼロではない。4月入学に慣れ親しんだ身からすれば、最初こそ戸惑うだろうが、生徒やその親だけならすぐに慣れるだろう。こんなものかと思うはずだ。だって、世界は同じことをしているのだから。とにかくやってみれば良い。
そんなわけで、知事の提案をどう思うかというテレビ局記者の質問には、もちろん大賛成だと答えておいた。
大西 好宣(おおにし・よしのぶ)千葉大学教授
慶大、コロンビア大学大学院、チュラロンコン大学大学院修了、高等教育学博士。NHK、国連、大阪大学等を経て現職。専門は比較高等教育、留学政策。近著に『海外留学支援論 グローバル人材を育てるために』(2020年、東信堂)がある。