書籍販売に日の目はあるか?本が売れなくなった逆説的理由

書籍販売が長期凋落に陥っているのは皆さんご存知通りです。90年代半ば、つまりウィンドウズ95が出始めたときから今日までの下落幅は販売額でおおむね5割だと思っていただいて結構かと思います。

その中でも種類により差異はあります。文庫やコミックスは3割弱の減少幅、ムック本が4割減にとどまっていますが、コミック誌は7割減、週刊誌6割減などスマホやタブレットに取って代わられやすい書籍タイプの減少幅は大きくなっています。

ところが2019年のデータを見るとその長期凋落傾向だった書籍販売が0.2%とごくわずかながらプラスに転じたのです。その理由は紙媒体は4.3%減となったものの電子媒体が23.9%と大健闘したためです。その背景は海賊版サイト「漫画村」が閉鎖したことで有償のコミック販売が伸びたことが大きな理由となっています。また正規品は電子媒体で見たり聞いたりしても有料であるという一般的な認知が進んできたことは大きいと思います。

ヘンな話ですが、海賊版のメッカと言われた中国などで「お金をきちんと払おう」という傾向が出てきています。作家や製作者への敬意であり、相手が苦労して作った作品を無料で見るのは「いけてない」という動きが一部で出てきているのも確かです。

ただ、それでも出版社側は海賊版対策に頭を悩ましています。例えば私どもは日本語の教科書をカナダの大学生向けに販売しているのですが、大学生の一部がPDFの海賊版を使ったり、学生同士の古本の教科書交換を利用しており、学生数に対して新品の教科書の販売数は比率でみるとおおむね半分ぐらいではないかと思われます。(大学により傾向が異なり、例えばインド人学生が多いところでは教科書はさっぱり売れないのですが、一流大学のきちんとした家庭に育った学生は購入するという傾向があります。)

その中、一部出版社では教科書の電子化に踏み切るところも出てきていますが、個人的には教科書の電子化の普及には世界レベルのもっと大掛かりな仕組みづくりが必要だとみています。最大のハードルは教科書を使い潰すものか、再販するためにきれいに使うか、という根本発想であります。

Wikipedia:編集部

私は書籍が売れなくなった理由の一つは逆説的ですが1990年にオープンしたブックオフにあるのではないかと考えているのです。理由は読み終わった本を再販するものとして電子媒体のように読み流す風潮を作ったきっかけになったと考えているのです。それにより本の価値観がよりライトなものに変わったのです。

たとえば東野圭吾氏は多作家でありますが、彼の小説は基本パターン化し且つ、大量のスタッフがまるで工場制作するがごとく作品を作り上げるわけです。こうなると洋服と同じで流行のものを売り出し、読み終わったらポイなのです。これでは書籍の価値は出ないのであります。

書籍販売に日の目はあるのか、に関しては出版社側の姿勢一つだと思います。「売らんかな」の一辺倒で質の低い書籍が増え、読者が後でがっかりするものを出版するのではなく、読んだ書籍が自分の宝になり、何年か後にもう一度読み直したいという書籍を売り出すべきだと考えています。

私もそれなりの数の書籍は読みますが、しょうもない作品に当たるとがっかりします。私の経験では当たり(=読んでよかった)という本はジャンルを問わず、3-5冊に1冊ぐらいまで下がっています。なので結局、昭和の時代に発刊された確実な書籍を読むことも多いのですが、書店にもう、それらの作品は置いていないのであります。(書架が限られるため、売れ筋しか置かず、昭和の本は置いていないことも多いのです。)

最後に読み手の立場から見ると電子と紙ではまるで違います。そして一部の世界では紙媒体の書籍に着目する傾向が少しだけあります。理由はスマホ疲れです。要は1日何時間もスマホ画面で同じような情報を探し続けることに飽きがきた人が出てきているというわけです。私なんか初めからスマホとの親和性が悪いので用事があるとき以外まず見ないのであの画面とにらめっこすることは社会がどれだけ変質化してもないと断言します。

書籍が再びTreasure (宝物)になる日は来るのでしょうか?

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2020年5月3日の記事より転載させていただきました。