検察庁法改正案は撤回すべきではない --- 藤田 啓介

安倍政権が国会に提出した検察庁法改正案に対する批判が高まっている。

安倍首相(官邸HP)黒川検事長(東京高検HP)

日頃政治的な発言をしない芸能人などもTwitter上などでコメントしている様子が見受けられる。撤回を求める署名は、数百万件にものぼっている。

批判が集まっている論点は、検事の定年延長を認める内容、という内容面が適切かどうかというより、安倍政権が、本来政治的に中立であるべき検察庁の人事に介入する法律を提起したことに対する批判、というように思う。

批判者のストーリーは、首相官邸が、お気に入りの黒川弘務東京高検検事長を検事総長にするために、定年を延長して検事総長に就任できるように定年を延長する法律改正案を今国会に提起した、というものである。

このコロナ期になぜ?という論点もあるとは思うが、大事な話ではないので、一旦措いておくとして、私は、傍から見ていて、安倍政権を批判するべきとは全く思えない。

政治や法律を曲げるな!三権分立を守れ!という意見が多く見受けられるが、国会にちゃんと提出して法律改正をしようとしている時点で憲法上の正当なプロセスをたどっているだけであり、逆に称賛されてもいいのではないか?

三権分立という点で言えば、そもそも検察庁は、司法権に属するのではなく、行政権を行使する行政機関に過ぎない。そのため検事総長の人事も、内閣が任命権を保持しているのであって、決して法務検察官僚が自由に行使していいものではない。

その点、安倍内閣が誰を検事総長に任命しようと正当な権力行使であると思う。

逆に、法務検察官僚の言う通りに人事を遂行し、政治家が適切な介入をしないと、何のために政治家が検察庁の上に存在しているかわからない。

官僚を政治家が主導するとは、まさに人事権の行使が必要であるように思う。

検事総長の人事を内閣が任命するからこそ、責任関係が明確になるわけであり、不満があるなら選挙で安倍政権・自民党を交代させればいいだけの話であり、当たり前の民主主義プロセスである。安倍政権は何も独裁権力ではなく、選挙を通じて間接的に選ばれただけであるのだから。

ただ、こういう話をすると、もう一つの論点が浮かび上がると思う。検察庁は、政治的に中立であるべきではないのか?という論点だ。

それに関して言えば、私は、そもそも検察が政治的に中立など、ありえないと思う。

佐藤優氏や、元福島県知事の佐藤栄佐久氏が「国策捜査」の存在を示唆しているように、検察、とりわけ特捜部の捜査には多分に政治的な思惑が絡んでいるように思う。

時の三木首相の政争の具になったロッキード事件も然り、小沢一郎つぶしの意図が疑われえる陸山会事件も然りである。

特捜部に限らずとも、尖閣諸島沖中国漁船衝突事件では、官邸の指示で那覇地検が漁船の船長の不起訴処分を下すなど、検察庁は内閣を構成する一行政機関に過ぎないのが現実である。

そうした現実を踏まえて言うと、賛否は措いておくとしても、現実として検察庁の政治的中立などありえない。

加えて言うと、検察も清廉潔白な組織ではなく、監視しないと自ら暴走する。

元検察幹部の三井環氏が指摘した裏金問題も然り、大阪地検特捜部の証拠改ざん事件も然りである。冤罪を防ぐための取り調べの可視化も、検察の抵抗を押し切ってやっと導入されたのが現実だ。

そういった、権力を持つ官僚組織の暴走を防ぐためにも、選挙で選ばれる政治家が人事などを通してしっかり監視しなければ、責任が明確にならないし、国民は検察を止めることができない。

だから私は検察人事への政治家の介入を止めようとすることは、法務検察は政治家がタッチできない領域である、と国民自ら主権を放棄しているようなものであり、本末転倒であるといわざるを得ないと思う。

今回の検察庁法改正案問題については、内容面、コロナなどの時期の点を除き、私はおかしいと思わないし、適切な政治権力の行使だと考えるから、安倍総理は、この法案を一度出したのなら、どうか世論の声に負けずに、通し切ってほしいと思う。

藤田 啓介 大手広告代理店マーケティング職
愛知県蒲郡市出身、東京大学法学部卒業。学生時代に、地元を活性化するために地域活性化プランコンテストを立ち上げ、運営。三男日記というブログを運営。