暗黒の団塊世代よさようなら。そろそろ明るい日本の夜明けを語ろう

新型コロナショック後の世界は前とは変わる。日本は新型コロナショック前から失われた平成の30年だった。新型コロナが収まっても、少子化は止まらず旧産業は没落して新規産業は育たず中国には完全に負けお先真っ暗日本では仕方がない。そろそろ暗黒団塊世代の後の、明るい日本の夜明けを語ろう。

はむぱん/写真AC

暗黒の団塊世代

団塊世代は“暗黒”だ。性格が外交的でないという個性の話ではない。積み重ねてきた生き方や考え方から滲みでる雰囲気が“暗黒”なのだ。

私は英語を話し世界中に中流階級の友人知人がいて世界を知っている。SNSが発達した現在では、日本在住でも世界と繋がることは難しくない。貧富の差が激しい世界では人も多様だが、人の上に立つ人物の多くは、特有の人を惹きつける内なる明るさを持つ。比べると日本の団塊世代はどこを見ても暗黒だ。

暗黒の団塊世代の特徴を、他国の同世代中流階級と比べると、次の3つが目立つ。

  1. 自己中心的
  2. 妬みひがみ嫉みの塊。
  3. 承認欲求の塊。マウンティング。

誰もが自分のことだけ考え、妬みひがみ嫉みで他人の足を引っ張り自分ばかり承認を求めてマウンティングとは、まるで「くもの糸」の餓鬼だ。

暗黒の団塊世代の社会特性

暗黒の団塊世代は社会特性も特徴的だ。

  1. 内面の成熟が見られない
  2. 理論的でははない。
  3. 利権と金への依存が強い
  4. 差別意識が強い

常に他人にマウントをかけられ引き摺り下ろされる恐怖が強ければ、成熟に欠かせない「立ち止まって自己と向き合う」余裕はないだろう。理論立てた話で相手の理解を助ける意識も生まれない。安全を求めて利権と金にすがり、そこで承認欲求もたす。内面が育たないまま外面だけ偉ぶり知ってるふり。自己中心的な上下意識でマウントをかけてこない女子供年下、韓国、中国、アジア系他有色人種を見下し甘え尊大な態度をとる。

だいたい団塊世代に何か問題を指摘してごらん。それは違うと即答で否定する。けれども何が違うかの説明を、私は聞いたことがない。更に強く指摘をすれば、不機嫌になる。敵意を剥き出しにして怒る。委縮する。自己言い訳をだらだら述べる。教えてくれた事に対する礼を述べ、わからなければ礼儀正しく質問し、意見交換をする。そんな礼節ある大人の態度が取れる団塊世代など、見たことがない。

暗黒の団塊世代が作る暗黒の社会

問題は、この暗黒の団塊世代が社会を占領したことで、社会全てで道理や原則は通じなくなり、人から知性品性は失われ、日本の進歩が止まったことだ。

写真AC

日本の社会は本音と建前というが、その実態は「嘘」強要社会。誰もがマウントをかけあいながら、他人の妬み僻み嫉みを買わないよう上っ面を「嘘」「欺瞞」で飾りたて立てる。他人より早く利権・金を掴みマウントしたもの勝ちだから、道理や原則に関係なく浅知恵屁理屈ごまかしなんでもあり。深い思考や理念や真実、思考、あるべき人のあり方は全てお題目化し、言うことだけ立派でやる事は自己中心的。誰もが表面的でマウンティングできない対象は見ないふりだから、社会が歪む。

都合が悪くなると被害者ぶって甘えてごまかす。なにしろ建前の嘘が破れた人にはヒステリックなバッシングを与えるのが暗黒の社会の暗黒の掟。その結果誰もが実在しない社会の目を恐れて萎縮し、自己表現ができず生き辛さをかかえる。内なるマウンティング欲と妬み僻み嫉みは無い事がお約束だから、認められず昇華ができず、他人の妬み僻み嫉みを買わない為の弱者ぶり良い人ぶり仮面との乖離に、双極性だの新型鬱だの暗黒の空気を読めない発達障害だの言いだす人が続出する。

社会の分断化も進行する。自分の承認欲求に合わないもの、マウンティングできない対象は目に入れない。社会はどんどん分断され、その分断すら見ないふりして誰もが自分の規範が社会の規範かのようにふるまう。だから他の社会・世代・世界とコミュニケーションができなくなる。分断された小さなコミュニティは共依存で膠着し、何かあるとコミュニティ同士で、相手を上から目線で見下しマウントを取れば満足。

社会の規則もどんどん歪む。暗黒の団塊世代は、人間観も暗黒らしい。いわく「人間とは、すぐズルをして自分だけ得をしようとする汚いもの」。だから今の日本の社会ルールは、他人が自分より得をしないよう他人を規制する否定系ばかり。他人が自分より得さえしなければ満足。そうではない問題には無関心。他人に利益を与えず自分が被害者妄想攻撃さえ回避できれば、長期的には社会の不利益になろうと知ったことではない。

もとより歪んだ分断社会だから、歪の全体像を誰も見ることができず、歪みは一層進行するばかり。こうしていくら努力しても誰も幸せを感じれらない暗黒社会が出来上がる。

この暗黒社会では、本来人間として成熟ができる深い思考と感性を備えた人ほど、自分を見失い自信を失う。そうして平成日本は、思考停止したもの勝ち、利権にしがみついたもの勝ち、利権に甘えたもの勝ち、お金を稼いだもの勝ちの暗黒Savage Gardenとなり、進歩が止まった。

いい加減に明るい夜明けを語ろう。

しかし歴史上全てのパンデミックは終焉を迎えた。暗黒の団塊世代も年老いた。新型コロナショックが落ち着いた先にあるべきは、明るい日本の新たな夜明けだ。

明るい世を明けるために大切なのは、暗黒の団塊世代前どころか明治維新まで遡り見直すことだ。イギリスのボリス・ジョンソン首相は就任時所信表明で、近代社会制度の間違いを認め、1920年まで戻って見直しその上に築く新しい未来の国と生活の話をした。日本もだ。暗黒社会の歪みから目をそらしても何も変わらないことは、失われた平成30年で十分に堪能済みだ。

直すべきは直し正すべきは正す。その先にあるのは、誰もが自分に率直でいられ、誰もが自由に工夫と改善をおこない、時に失敗をしても改善して前に進める創造的な社会。足を引っ張り合うのではなく、お互いに引き上げ合う安心と信頼の社会。他人や社会や世界とフラットに繋がりフラットにコミュニケーションができる自由な社会。そんな社会を自信を持って語ろう。

ちなみに「暗黒」は日本の団塊世代だけではない20世紀世界の問題だった。昨年スコセッシ監督のアイリッシュマンが不評で話題になったが、この理由を世界の友人達と話した。曰くこの映画で描かれた、世の中成功しているやつは裏で悪いことをしているに違いないという20世紀世界観は、下手な細工はどうせバレるから損と考える21世紀SNS時代世界観からみて時代遅れすぎて共感できない。

世界は20世紀の暗黒を過去に見るほど前進している。日本ももう暗黒の団塊世代を過去形にして、明るい日本の夜明けを語ろう。