「ああ、ついにこの時が来てしまったのか」
西口さんの死を聞いた時に思った。
モルヒネで痛みを和らげながらTwitterで気丈に振舞う彼を見ていたから、体調が芳しくないことは知っていた。
それでも、何となくまた会えるんじゃないか、という根拠の無い期待。
余命数ヶ月って言われたけど、それから何年も経ってるんですけどね、なんて言いそうな人だったから。
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朝日新聞デジタルのLINEにも、「40歳で死去」と彼の顔があった。
コンパクトによくまとまっているので、引用したい。
子育て世代のがん患者の交流の場などを運営する一般社団法人「キャンサーペアレンツ」の代表理事で、胆管がんをわずらっていた西口洋平さんが8日、40歳で死去した。葬儀・告別式は親族で行った。
2015年、人材会社の営業マンだった35歳のとき、ステージ4の胆管がんで完治は難しいと告げられた。6歳の娘にどう伝えれば良いか悩み、仕事、お金など不安は尽きなかったが、同じ年代や立場の人とつながれず、孤独だった。
翌年4月、インターネット上で子どもを持つがん患者がつながるサイト「キャンサーペアレンツ」を開設。その後、一般社団法人を設立し、抗がん剤などの治療を受けながら、ネット上や催しで交流の場を運営し、会員数は3600人を超えた。SNSなどでも発信をしつつ、企業や研究機関の調査への協力、「治療と仕事の両立」「がん教育」といったテーマでの講演など、活動の幅を広げた。
そう、自らがんを患いながら、同じような境遇のパパママたちを繋げ、助け合うコミュニティを創った人だった。
でも、この短い業績紹介には収まらない魅力が、彼にはあった。
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僕はSEA(ソーシャル・アントレプレナーズ・アソシエーション)の理事として、自らの経験に基づいて、スタートアップの社会起業家のメンターをしている。
今年の1月に同い年の西口さんのメンターに割り当てられた。彼とは以前からお互い何度もあって知っていたが、仕事の話をちゃんとするのは初めてだった。
彼との最初のメンタリング。
「僕はあと1年くらいしか生きられないと思うので、僕が死んだ後も組織が続き、困っているがんの親たちを支えられるようにしたいんです」
胸が突き刺された。
まさに、命を賭けた組織づくりだった。
でも彼は全く悲壮感は出さずに、飄々としていて、そしてよく笑った。まあ色々あるけど、それはそれってことで、みたいに。
僕たちは、創業者がいなくても、組織がどう創業者の精神を持ち続け、回っていけるのかの議論を重ねた。
正直に言うと、メンターとして何かを教えられた、なんて思っていない。
魂がぶつかり合うような対話の中で、僕が毎回教わっていた。
そして毎回僕は自分に問うた。
「自分の命があと1年だとして、後悔しない人生を俺は歩めているのか」と。
脂汗が背中を伝う中、自分から出てきた答えは、「否」だった。
映画の主人公のようなタフな大人になりたかったのに、鏡の前にいるのは、過ぎ去った過去への執着と、ままならない現在への不安を両脇に抱えた子どものようだった。
得られぬ自己実現への渇望。焦燥と自己嫌悪。責任と孤独。その円環をぐるぐると回り続ける自分が、後悔なき人生など、歩めているはずがない。
僕は西口さんに何かを語る資格があるのだろうか。
そう思いながら、対話を重ねた。
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しかしこの数ヶ月彼が体調を崩し、入院生活を送ることになり、メンタリングの機会を持つことはできなくなっていた。
そして5月13日の夜に彼とはもう、永遠にメンタリングはできなくなっていたことを知った。
その日はよく眠れず、次の日もいいようの無いダルさと憂鬱に苦しんだ。
家族や仕事仲間は全く悪くないけれど、世界がそうやって普通に回っていることも腹立たしく、そして無性に孤独だった。
何杯飲んでも酔えずに、どうしようもなくなって、生前の西口さんの呟きを見た。
そこで「ああ、そうだった。そうだったんだ」と思わず言葉が口から溢れた。
そうだ、僕が鬱々と過ごした今日のこの日は、西口さんが生きたいと願った今日だったんだ。
明日は、限られた時間を生きようと彼が駆け抜けたかった明日なんだ。
だったら、こんな風に過ごしてちゃいけない。この日に、このかけがえのない人生の、命の破片にとてつもなく失礼じゃないか。
彼は、「自分の命を大事にしてほしい」と言った。
彼との対話の中で、僕は「自分の命があと1年だとして、自分は後悔なき人生を送れているのか」と問うた。でもその問い自体が間違っていたのではないか。
自分は生きている。彼が生きたかったこの日を。
後悔も焦燥も自己嫌悪も不安も孤独も、生あればこそ。それらもまた、掛け替えのない人生と命の一部で、それと共に生きるしかない。いや、それこそが僕の人生そのものであり僕自身なのだ。誰にどう思われようと、僕は僕の命を生き切るんだ。
その自由を僕は持っている。そして生きれなかった人々に対する責任をも。
そうだよ、西口さん、そんな当たり前のことを、どうして僕は気づかなかったのだろう。僕がメンターのつもりで、やっぱり教わってばかりだったね。
またいつか、僕が僕の人生を生き切った時に、逢えたら良いな。
きっとあなたは飄々として、笑って「遅いよ」って言いながら、出迎えてくれるんだと思う。
それまでは、どうか安らかに。
編集部より:この記事は、認定NPO法人フローレンス代表理事、駒崎弘樹氏のブログ 2020年5月15日の投稿を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は駒崎弘樹BLOGをご覧ください。