ネット上の誹謗中傷を受けた若い女性レスラーが自殺する、不幸な出来事が起きた。亡くなられた方と周囲の方々の無念は、察するに余りある。こんなことの起きない社会にしないといけない。今の社会を作ってきた大人の一人として申し訳なく、少しでも力を尽くしたい。
私自身、誹謗中傷の被害者の一人でもある。昨年、毎日新聞で、収賄罪相当の行為をしたとの事実無根の記事を書かれ、複数の国会議員からさらなる誹謗中傷を受け、ネット上でも広められた。毎日新聞や森ゆうこ議員らとは訴訟係争中だ。
被害経験も踏まえ、ネット誹謗中傷の問題について、検討すべき課題を示したい。
1. 被害者に身を守る手立てを
最大の問題は、多くの場合、被害者に身を守る手立てがないに等しいことだ。やられたらやられっぱなしで、泣き寝入りするしかない。
もちろん、訴訟を起こすことはいちおうできる。しかし、訴訟には金も時間もかかる。金をかけて、何年も費やし勝訴を勝ち得ても、その頃までには社会的信用を喪失し、回復不能な被害が生じてしまう。
だから、こうしたケースでの標準的な助言は、「時が過ぎるのを待つしかない。そのうち、きっとみんな忘れるよ」だ。そうして多くの人は泣き寝入りするので、誹謗中傷はノーリスクでやりたい放題になり、さらなる被害者が生まれていく。
被害者に身を守る手立てを用意しない限り、問題は解決しない。そのために、課題はいくつかある。
1)匿名の加害者の特定を容易に
まず、ネット上の誹謗中傷は、匿名でなされる場合が多い。加害者の特定が第一関門になる。
「プロバイダー責任制限法」で、発信者情報の開示をプロバイダーに求める権利が定められるが、実務上は、SNS事業者などへの開示請求、ISP・携帯事業者への開示請求と二段階の裁判手続きを要することが多い。特に外国のSNS事業者の場合は、送達に数か月かかることもある。第一関門で断念してしまう人が多い所以だ。
この点に関しては、総務省で4月から「発信者情報開示の在り方に関する研究会」を設け検討を始めていたところで、高市総務大臣も「制度改正も含めた対応をスピード感をもって行いたい」(5月26日会見)と表明した。被害者・発信者双方の人権を守りつつ、より迅速・合理的に紛争解決できる手続整備を早急に進めてほしい。
発信者情報開示の在り方に関する研究会(第1回)配布資料(総務省)
2)名誉毀損訴訟の改良
政府での検討は今のところここまでのようだが、加害者特定は、あくまで第一関門に過ぎない。その先で被害者は、加害者に対し名誉毀損などの訴訟を起こすことになる。ここでまた、金と時間がかかる。
おそらく多くの人が訴訟を躊躇する要因になるのが、期待できる賠償額の少なさだろう。名誉毀損の慰謝料は低く、かつては「100万円ルール」(100万円程度が上限)ともいわれた。最近では高額事例もあるが、ネット上の名誉毀損では2008~2018年でみても中央値は概ね50万円前後で推移している(松尾剛行・山田悠一郎『最新判例にみるインターネット上の名誉毀損の理論と実務』による)。これでは、実際上は訴訟費用すら回収できず、勝っても赤字になりかねない。
これが現実にあっているかは疑問がある。誹謗中傷の被害は決してそんな軽微なものではない。何万人、何十万人という人たちに向け、「不道徳」「信用ならない人物」「犯罪や不正に手を染めている」などと拡散されれば、社会生活上の深刻な支障が生じる。それまで何十年もかけて積み上げてきた信用や人間関係をいっぺんに失うこともある。
これまでの裁判慣例を越え、より合理的な賠償額の算定がなされるような措置を検討すべきだ。例えば、誹謗中傷の内容、拡散の規模などを指標化し、それに基づく算定基準を設定するなどの方策が考えられる。
また、ネット上の誹謗中傷では、法的ルールが明確になっていない点も多い。例えば、リツイート、「いいね」などの扱いだ。これらは実際上は拡散の主要因になることが少なくない。裁判では、リツイートは責任が認められたケースが多いが、「いいね」は否定した例もある。ルールをより明確化にするため、立法措置なども検討すべきだ。
3)ADRの創設
簡易・迅速な解決のためには、裁判だけでなく、ADR(裁判外紛争解決手続)も有用だ。誹謗中傷に特化した専門のADR創設も検討すべきだ。例えば、家電や自動車の欠陥、土地の境界、パワハラなど労働関係などでは、「裁判外紛争解決手続の利用の促進に関する法律」に基づき、法務大臣認証の専門のADRが運営されている。言論空間の健全性を確保する観点で、関係事業者・業界の資金負担での創設が検討されてよいと思う。
(参考)法務大臣認証のADR
2. 公権力による監視強化は慎重に
被害者は、民事で加害者を訴える以外に、警察に訴える手立てもある。誹謗中傷は、刑法上の名誉毀損罪や侮辱罪に該当しうる。名誉毀損罪ならば「三年以下の懲役若しくは禁錮又は五十万円以下の罰金」が科される重罪だ。もちろん捜査体制の制約があり、多くの事案を取り上げてもらえるわけではないが、選択肢のひとつだ。
ネット誹謗中傷への対応強化策として、こうした刑事面の制度を拡充すべきとの議論もよく出てくる。例えば、ニュージーランドの有害デジタル通信法のように、ネット上の有害情報発信をより広く処罰対象にすべき、といった議論だ。
しかし、これはごく慎重に検討すべきだ。誹謗中傷は、言論の自由と、言論により侵害される人権の境界の問題だ。言論の自由への制約を強め、その認定権限を公権力に与えることは、安易に進めるべきでない。おかしな政権のもとでは悪用される危険性もあるし、設計次第では民主主義の根幹を揺るがしかねない。
3. 誹謗中傷はネットだけの問題ではない
最後に、問題はネットだけではない。ネット以外で誹謗中傷がまき散らされることも問題だ。新聞やテレビなどのマスコミが誹謗中傷の主体になることもある。この場合、ネット上の個人をはるかに上回る影響力を持つから、より深刻な結果をもたらす。「新聞は社会の公器だから、万一間違ったらすぐ訂正するはず」などと思う人もいるかもしれないが、そんなことはない。
ここまで述べてきた提言は、冒頭の加害者特定を除き、ネット以外の誹謗中傷にもそのままあてはまる。例えば新聞は、主要新聞各社の加盟する日本新聞協会においてADRの創設を検討すべきだ。
私は毎日新聞との事案で、日本新聞協会にも対応を求めた。しかし、同協会の回答は、紛争処理や新聞倫理遵守はあくまで各社の責任、とのことで門前払いだった。家電業界や自動車業界の場合なら、欠陥製品の責任そのものはもちろん各社だが、業界の責任として、中立的なADRの仕組みを設けている。新聞業界も、家電業界や自動車業界並みに、社会的責任を果たしてほしい。
国会議員による誹謗中傷は、問題がさらに深刻だ。国会内での発言の場合、国会議員には免責特権がある。憲法上、国会外で責任を問われないと定められ、被害者は民事訴訟や刑事告訴の道が閉ざされる。過去の事例では、札幌の病院長が国会で誹謗中傷されて自殺したケースもあったが、遺族が裁判を起こし最高裁まで争ったものの、免責特権の壁に阻まれ敗訴に終わった。
私の事案では、それなら国会内で責任を問うてもらおうと、森ゆうこ議員の懲罰を求め請願を提出した。6万7千人のネット署名に支えられた請願だったが、本会議で審議されることすらなく黙殺された。
今回、不幸な死をきっかけに、与野党双方で誹謗中傷への対応を検討しはじめている。国会議員の方々がもし本当に誹謗中傷の問題に向き合うつもりがあるならば、ネット上の誹謗中傷だけに限定せず、ぜひ国会内での誹謗中傷についても議論してほしい。被害者の申立てを受けて発言の妥当性を検証し、懲罰を検討するプロセスはあってしかるべきだ。
さらに、免責特権のあり方の議論もしてほしい。悪意や重大な落ち度ある発言まで対象とすべきなのかなど、憲法改正の可能性も含め議論いただけたらと思う。