弾劾、自殺、違法捜査……歴代スイス検事総長の資質と品格

スイス初の検察トップ弾劾

国際サッカー連盟(FIFA)のインファンティーノ会長とスイス連邦検察ラウバー長官の不可解な会合から、連邦議会は弾劾手続を開始した。

ラウバー氏弾劾の動きを伝えるスイスのテレビ局

ブラッター前会長時代の汚職捜査で現会長と情報交換という弁明も、インファンティーノ会長が「欧州サッカー連盟(UEFA)」法務役員時の自分の疑惑調査の件を相談ということで、議員たちを納得させることができなかった。

スイス司法の信用を失墜させたと辞任を促す声が高まっているが、ラウバー自身は先の減俸処分を不服として連邦行政裁判所に提訴しており、弾劾手続は行政裁判所の判断を待って進められる。この事態にスイスではマスコミや有識者が、「連邦検察と州検察」、「政治と検察」、「人か制度か」と論じ合っている。

戦後75年間の迷走

1848年、スイス連邦憲法が制定され、連邦検察とそのトップに「連邦検事」が置かれることになった。第二次大戦後まで留任していた前任者の後、純粋な戦後初代ヴェルナー・リューティ連邦検事は1949年就任。「以来、『畳の上で死ねた』(定年で年金を得て引退した)連邦検事は、さしたる業績を残さず印象薄い6代目ヴィリー・パドルット(1994-98)だけ」という。他はすべて受難・失敗続きであり、その原因は「人と制度」どちらなのかと問いかけている。

連邦検察は廃止すべきか

現行制度は「2002年法改正」の産物で、「それ以降、失敗続き」とも。それまで、州検察は一般犯罪を扱い、連邦検察は「国際犯罪、爆弾事件や偽札事件」等を処理する「小さいが立派な」組織だった。それが2002年以降は、「マネーロンダリング・組織犯罪・経済事犯」を標的とする大組織に変貌。「以来、スキャンダルばかり」というのである。

戦後初代リューティ(1949-55)の役割は、大戦中の「スイスのナチ」フランツ・ブリとその一派に対する「国家反逆者大裁判」から始まった。「永世中立」を旗印にしながら、ドイツ国防軍に武器を輸出していたスイスとしては、戦後の国体を明確にする必要があったからである。4代目のハンス・ヴァルダー(1968-1974)になると、当時の「時代の雰囲気」から輸入市場に溢れた猥褻出版物の取締りに注力し、全国の書店を処罰して顰蹙を買い「ポルノハンター」と呼ばれた。

ナチの埋蔵金

2代目ルネ・デュボワ(1955-57)は、これも当時の世相に合致して、初の社会民主党員の検事総長だった。スイス在のラトビア武器商人の会社に注目、残されたナチス資金のロンダリングを疑った。彼は独自捜査に踏み切り、資料をパリの仏諜報部へ持参して情報交換。スエズ危機ではエジプト大使館の盗聴情報を仏側へ提供、これが規律違反とされた

戦中・戦後のスイスには、そうした怪しい資金や二重スパイが入り乱れ、ナチの金庫番「チャイナ・クライン」や「ゲーレン機関」、後のCIA長官アレン・ダレス等の息のかかった者達が暗躍、デュボワ一人の手におえるものではなかった。資金は旧西ドイツの再軍備にも使われ、スイスの武器メーカーも政府もデュボワの動きを懸念。彼は自分が調査対象と知り、拳銃自殺を遂げた。

自殺者、冤罪…惨憺たる戦後

自殺したデュボワの後任3代目ハンス・フュルスト(1958-67)は、戦後「瑞独間の戦車事業」を調査する傍ら、前任者の自殺問題も再調査するも、大した成果は得られなかった。4代目ハンス・ヴァルダーはかつてデュボワの行動を捜査した中心人物で、総長就任後の結果報告は、「規律違反の自責の念で自殺」というものだった。5代目ルドルフ・ガーバー(1974-89)は、「東西冷戦の戦士」とされ、スイス国民の政治思想チェックに注力した。

さらに、旧ソ連への情報提供疑いの「ジャンメール准将」冤罪事件、「エリザベス・コップ議員秘密漏洩」疑獄と失敗を重ね辞任。そのため、先の6代目パドルットは、連邦検察と連邦警察の分離等、議会が命じた機構改革に黙々と努めた。そして、自分の時代到来を待ち兼ねたように、7代目カルラ・デルポンテが登場する。

7代目カルラ・デルポンテ(1994-98)

カルラ・デル・ポンテ(Wikipedia)

彼女は、イタリア語圏ティチーノ州ルガーノの治安判事時代、後にマフィアに爆殺されるシチリアの治安判事ジョバンニ・ファルコーネの要請を受け、コルレオーネ・ファミリーのスイス預金口座を摘発。マネーロンダリング捜査の重要性を学んだ。ファルコーネ死後は、後継「赤毛のイルダ」ことイルダ・ボッカシーニと協力。

検事総長に就任すると、①メキシコ前大統領カルロス・サリナスの親族の麻薬取引による隠し口座、②パキスタン前首相ベナジル・ブットの夫の腐敗資金、③エジプト観光で殺害されたスイス人旅行者のためテロリスト捜査協力、④ロシア大統領ボリス・エリツィン側近の腐敗捜査協力、そして、⑤旧ユーゴのマフィア資金の流れを追いかけ、⑥ラドヴァン・カラジッチの戦争犯罪を追及するハーグの国際戦犯法廷に協力したことで、その後、同法廷検事に転身する(Carla Del Ponte, Madame Prosecutor, 2009)。 

カルラ・デルポンテ以降

スイスでは、検事総長時代の彼女に「特筆すべき成功なし」という。国際的有名事件ばかり追いかけ、スイスで具体的な起訴に至った成果はないというのである。自己を過大評価した「声の大きい売り子」であって、後継達が失敗する原因を作ったとされた。だが、「連邦検察はマネーロンダリング重視」というデルポンテの意向は、2002年の法改正と機構改革に生かされた。

ロシャッハー氏(Wikipedia)

8代目バレンティン・ロシャッハー(2000-06)は、麻薬取締局長時代、デルポンテとメキシコに同行。検事総長就任後、米国で逮捕され「司法取引」で出所したコロンビア麻薬カルテル情報提供者ホセ・マヌエル・ラモスを独断で呼び寄せ、スイスのプライベートバンカーのオスカー・ホレンヴェガーが仏企業アルストムの「黒い金庫」役だとして、違法な「おとり捜査」を実施。

ホレンヴェガーはこの冤罪で銀行を失った。これもデルポンテの薫陶で、スイスに「犯罪組織」ありとヘルズ・エンジェルズを摘発して失敗し辞任。後任の9代目エルヴィン・バイエラー(2007-2011)も、これらの事件を引継いで評判を落とし、ついには法務大臣と対立、議会で再任されなかった。

10代目ミヒャエル・ラウバー(2012-)登場

ラウバー氏(連邦検察庁サイト)

リヒテンシュタインの金融監督官という経歴を持つラウバーは、スイスの「銀行秘密とマネーロンダリング」の兼ね合いに悩む議会に歓迎された。その前にスイス連邦警察で「分析チーム」長を勤めていたところ、部門削減で退職した経緯につき精神的な弱さを指摘されたが、一方で、彼はスイス国鉄営業職の同性パートナーと「登録」関係にあることを公表しており、それは意志の強さを示すとされた。

ラウバーについては、FIFA事件以外にも、マレーシア国営ファンド1MDB事件で、リヒテンシュタイン時代の同僚をかばい、内部告発者を投獄したとか、ウズベキスタン独裁者の娘グリナラ・カリモヴァのマネーロンダリング捜査で、不要なウズベキスタン出張をした、あるいは、ロシア側と接触するため、ロシアに旅行し「熊狩り」でもてなされたなど、従来の検察トップにない「交友上の不祥事」とでもいうべき数々が暴露されている。

引退後は画家・小説家

退任後、ロシャッハーはプロの画家として、スイス山岳地帯の風景画を描き続けている。バイエラーは既に5冊目のミステリ小説を出版(コロナ禍で未入手)。画家・小説家と来れば、ラウバー弾劾後の道は「音楽家」か?