公民連携型で低コストな大学を設立可能にせよ(下) --- 田中 大二郎

先に述べた通り、若者が、親の所得にかかわらず、低コストに学べるオプションとして、「学び」にフォーカスし、リベラルアーツに特化した大学の設立を提言します。リベラルアーツとは、「読み」「考え」「議論し」「書く」技術の総体です。これは、一般的に日本で用いられる、さまざまな分野のことを知っているという意味での「教養」とは異なります。リベラルアーツの技能は、「議論」を方法的に行い、論文を「書く」までの学術的な営みです。学問の基本動作と位置づけできるでしょう。

日本にもかつては、寺子屋と藩校という、リベラルアーツに相当する学びを低コストに提供する仕組みが存在していました。明治維新前にそのような学び舎で学んだ下級武士出身の人物が、現代にも通用する高いリベラルアーツの技能を持つ例は、挙げればきりがありません。

水戸藩の藩校だった弘道館(Wikipedia:編集部)

発想の転換が必要 ~ 低コスト大学を設立可能にして格差是正へ

現代の日本の大学進学率は、両親年収400万円以下で33.9%、1000万円以上では60.7%というデータ(「高校生の進路追跡調査第一次報告書(2007年)」p.69, 東京大学大学院教育学研究科 大学経営・政策研究センター)があるように、学費をはじめとするコストが大きなネックになっていることは明らかです。

「公費」「親負担」「自己負担」の三つの中で、ひたすら親負担に依存しているのが日本の大学の現状で、少子高齢化がすすみ財政が厳しくなる中、「公費」に大きな期待をかけることは難しくなっています。ましてや、学生の「自己負担」に依存することは、さらに難しいでしょう。

今回のコロナ禍でわかったことは、大都市圏・地方圏にかかわらず、多くの大学生が、アルバイト収入を前提にぎりぎりの学生生活を送っているということです。未来ある若者に多額の負担を求めたり借金を背負わせることは、もっとも避けるべきことです。すると、結局「親負担」に依存するしかなく、それでは今後も格差は変わらないでしょう。果たして、それでいいのでしょうか。

ここで大きな発想の転換が必要です。既存の制度とコストを前提に、誰が高コストを負担するかではなく、元々が低コストな大学を新たに設立するという発想を持つ必要があるのです。そして、リベラルアーツ中心のカリキュラムに特化して、低コストな運営で持続可能にすることです。実験施設や実習施設を必要としないリベラルアーツの学びを中心にすえれば、これは実現可能なのです。

格差を是正するための最も重要な条件の一つは、「教育の機会均等」です。高コストの大学が、ごく一部の学生を奨学金で支援しますよ、というスタイルでは、いつまで経っても格差は是正されません。親の収入にかかわらず、元々が低コストの大学で誰もが学べるにようにすることが、高等教育における機会均等の王道になるでしょう。そのタイプの大学を公民連携で設立・運営し持続可能にする使命を、日本の社会全体で担う時期に来ているのではないでしょうか。

だからといって、既存の大学を否定する必要はありません。国のためにも地域のためにも、歴史と伝統ある既存の大学の発展は重要性を持ち続けるでしょう。先進的な専用設備を必要とする学部、学科、研究科もあり、低コストな大学一色にする必要はありません。問題はオプションが無いことですから、低コスト・低廉な学費の大学を設立可能とし、既存の大学と棲み分ければよいのです。

少子高齢化の地方自治体でこそ、新たな大学の学びのオプションを

筆者は最近、ある自治体で生活困窮世帯の子どもたちが対象の学習支援に関わり、英語数学を中心に、中高生と学びを共にしました。彼らの多くは礼儀正しく、優秀でした。彼らにその意志があれば、自分の学びに合った大学に進み、活躍してほしいと願っています。

大都市圏より、むしろ少子高齢化がすすむ地方で、リベラルアーツに準ずる「高度な学びを低コストに提供する大学」の需要は大きいと思います。専門的な施設を必要としないリベラルアーツの学びを提供する大学に余剰公共施設を充てる、資金は自治体が丸抱えすることなく、リスクを分担しながら公民連携で拠出し合う、学びのプログラムは民間を中心に知恵をしぼって作り上げる、そして、学生が確かにリベラルアーツの技能を身につけたかどうか、自治体が高いハードルを設けて公式に学位を認定する、そのようにして、低コストで高度な学びを提供し、地域の未来を担う若者に学んでもらう大学を本気でつくることで、格差是正への大きな一歩を踏み出すことになるのです。

大学で学ぶ現代の若者へのメッセージを最適化する 

大卒や大学院修了者であっても、非正規職員がさまざまな業種で多くの割合を占めるようになっています。かく言う筆者も、フランスの思想史研究で博士論文を仕上げた後、自治体の非正規職員として研究にあたっています。

私立大学の多くは、未だに、高卒者と大卒者の生涯賃金の違いのデータを引き合いに、高い授業料を正当化しています。今後、さらに少子高齢化が進み、地方が衰退していく中、高額な授業料を徴収し続けることは、あたかも、以下のようなメッセージを発するようなものではないでしょうか。

「どうぞ学費をたくさん払って卒業してください。卒業したら大都市の大企業やグローバル企業に就職して、いっぱい稼いで元を取ってください」

これは令和の時代の日本に最適化されたメッセージではないでしょう。本来、大学が若者に送るべきメッセージは以下のようなものではないでしょうか。

「大学の運営そのものを低コストにし、学費も安くしますから、学問の基本動作を身につけ、その先に専門領域に進路をとるなり、社会に出て活躍するなり自由な道を選択してください。高給取りにならなくてもいいのです。NPO、ボランティアなどを含め、自分に合った進路を見つけ、活躍してください」

地域が公民連携で独自の仕組みを追求し、地域の若者に学びの機会を提供する。令和の日本、コロナ禍を経た日本に必要な学びの場とは、そういう場なのではないでしょうか。日本の寺子屋・藩校の学びにも通底し、ヨーロッパの学問の伝統を体現するリベラルアーツを根幹にすえることで、それは可能になると筆者は確信しています。

田中 大二郎 自治体研究員
フランス近代思想史研究により博士(学術)(一橋大学)。平成28年熊本市都市政策研究所にて、防災、震災記憶の研究に従事。他の関心分野に、公民連携、若者の地域参加、まちづくり、関係人口等。現在、授業料不要のリベラルアーツ大学(校)のプログラムを構想中。