5月末に政府による緊急事態宣言が解除され、6月1日には全国ほとんどの学校が再開しました。各学校では感染防止策をとりながら、休校により遅れた分の学習支援や心のケア、ICTの活用などに取り組む必要があり、教育関係者の踏ん張りどころとなっています。
福島にいる私にとって、学校再開と聞くと原発事故後のことが思い出されます。コロナ禍での学校再開とはだいぶ状況が異なるものの、少なからず共通点もあります。
ウイルスも放射線も見えない敵との闘いであり、教職員も子どもたちも科学的に性質を理解し、必要な対策をとること(正しく恐れる)、さらには自らを新しい生活様式に適用させていくことが必要です。学校マネジメント上は、収束に向けた道筋が不透明であり、長期戦を覚悟した危機管理が必要で、校長等のリーダーシップが求められます。
富岡町の学校再開の例を紹介したいと思います。原発事故で全町避難となった富岡町では、町内の小中学校は閉鎖され、子どもたちはそれぞれの避難先の学校に通うようになりましたが、見知らぬ町や学校にとまどい、新たな環境になじめない子どもたちも少なくありませんでした。
町の学校を再開してほしいとの保護者からの声も受けて、2011年9月、富岡町から60kmほど離れた三春町に、自動車のブレーキ工場の建物を改修して富岡町の学校を再開させました。それから約9年間、この仮設校舎で「富岡小中学校 三春校」として教育活動を行っています。
富岡町が仮設の学校をつくる場所を探し求め、この工場跡地を用意できたのは、2011年8月で、約1か月後には学校を再開させなければならないという差し迫った状況でした。元工場のため、体育館やプールはもちろん、机や椅子、ホワイトボードに至るまで何もありませんでした。施設・設備だけでなく、散り散りに避難している子どもたちの通学手段、給食など学校運営上の課題は山積していました。
2018年度、三春校の小学6年生3人は、総合的な学習の時間に自分たちの学校が、どのような経緯や想いで再開されたのか、取材して映像にまとめました。当時のことを知る大人にインタビューすると、自分たちの身の回りにある学校の備品の多くが、実は日本中から届けられたものであることが判明します(椅子は森林組合がつくってくれたもの、ロッカーは北海道の高校から寄贈されたものなど)。
そして自分たちが普段の学校生活において、「世界とつながっていた」ことに気づいていきます。素晴らしい総合的な学びであり、いい作品になっています。
さて、富岡小中学校三春校が工場跡地で再開した日、集められた子どもたちは一様に不安そうな表情をしていました。それを見るなり、当時小学校の教頭だった岩崎先生(現、富岡町教育長)は、子どもたちが集まるところで次のように語りかけたそうです。
『お待たせしました。お帰りなさい!』と言って、初めてみんながほっとした表情をしたんです。『こんど君たちは、ここで学ぶことになりました』ってそう言ったら、またほっとしたんです。『周りみてごらん、これだけの仲間がいます!』と言ったら、またニコッと笑った。
これは教師のリーダーシップの発揮であり、学校の本質に迫るエピソードだと思われます。学校再開時に気づかされたのは、どのような境遇や環境にあっても目標を同じくする友人たちと学び会える「仲間がいる場」としての学校の重要さでした。そして教師と子どもたちがいさえすれば、どんな場所でも「学校」として成立するのだと。
コロナ禍にあって、知識のインプットだけを考えれば、オンラインで学べることも多いことが分かりました。今後は教育分野でもDX(デジタルトランスフォーメーション)は益々進みますし、リアルとネットのハイブリッドで個別最適化された教育に向かわなければなりません。
しかしながら、当然ネットですべての学校機能が置き換えられるわけではなく、教師や多様な友人との交流がある「仲間とつながる場」や、子どもたちの心身のケア、生徒指導、給食、部活動なども含めて「安全に健康に成長できる場」としての学校の機能は残っていくだろうと思われます。
次の作品は三春校が再開した際の小学6年生が、国語の授業で詠んだ作品です。
友達と 再会したい 富岡で 放射能ない その日までまつ
復興の進捗により富岡町の一部でも避難指示が解除され、2018年4月には地元でも学校(富岡小中学校 富岡校)が再開されました。この短歌を詠んだ子の願いのバトンを受け継いで、ついに地元で学校再開させることができたのです。
富岡校の再開式では、子どもたちがおもむろに立ち上がると、「大きなかぶ」の劇が披露されました。最初は再開された富岡校の子どもたちだけで、かぶを抜こうとするのですが、抜けません。そこに三春校の子どもたちや様々な人たちが入ってきて、みんなで一緒に力を合わせたら、スポーンと抜くことができました。
福島では早い満開の桜の中で、たくさんの地域の方に祝われ、避難先の三春校、地元の富岡校と離れていても「仲間がいる」ことを確認した学校再開でした。
富岡町では三春校と富岡校の時間割をあわせ、同一学年がテレビ会議システムを使って同じ授業を受ける遠隔教育(遠隔合同授業)に取り組んできました。どちらの校舎も子どもの数が少ないのですが、この学びにより多様な意見・発表の機会が確保できるメリットがあります。
前例なき環境から、前例なき教育が生まれます。コロナ禍にあって全国から新しい学びが生まれていくでしょう。ただ、「多様な仲間との学びあい」の重要さは変わらないと思われます。
最後に、三春校再開時の小学6年生の短歌をもう一つだけ紹介します。
震災後 友達 家族 食べ物の大切さを知り 気持ち変わった
原発事故もコロナ禍も、不安で不透明な状況が続く状況にあって、「本当に大事なもの」に気づく、または向き合う機会になったことは間違いないと思われます。このような災厄の中にあって「何かをする(Doing)」ことは制約が多い、しかし、「誰とどうありたいのか(Being)」を考える時間が増えたし、気づかされたように思います。