欧州は6月に入り、新型コロナウイルスの感染がピークアウトしたことを受け、3月中旬から施行してきた外出規制や経済活動の制限など特別規制措置を段階的に解除してきた。今月末には欧州域内の空路も規制が解除され、飛行機を利用した旅も可能となる運びだ。
ところで、規制措置の緩和が進む欧州で想定外のことが起きてきた。米ミネソタ州のミネアポリス近郊でアフリカ系米人、ジョージ・フロイドさん(46)が先月25日、白人警察官に暴行された末、窒息死させられた。そのシーンがテレビに放映されると、米全土で警察官の蛮行に抗議するデモが起きたが、その抗議デモは欧州各地にも飛び火し、音楽の都ウイーンでも4日、5万人の人種差別抗議デモが行われたばかりだ。
新型コロナの感染が依然、猛威を振るっている米国内の抗議デモは、平和的に行われた集会のニュースを見る限りでは、参加者の多くはマスクを着けて参加している。一方、ウィーン市内の抗議デモではマスクを着用していない参加者も多かった。デモ集会だからソーシャルディスタンスを守ることは難しい。それにオーストリア政府が今月15日からスーパーの買物でもマスク着用の義務を中止、公共交通機関の地下鉄や市電、そして薬局以外ではマスク着用の義務はなくなると表明したばかりだ。オーストリアではマスクからの解放が急速に進んできている。
アンショ―バー保健相は8日、ウィーン市関係者、抗議デモ集会主催者らを招き、緊急会議を開き、抗議デモ参加者への対策を話し合ったばかりだ。過去3カ月間、規制措置の実施で新型コロナの感染は抑えられ、ようやく観光業の再開の道も見えてきた。そこに米国発の人種差別抗議デモが欧州全土に波及し、週末には数万人の国民がマスクをつけずにデモ集会に参加しているのだ。
米国発「人種差別抗議デモ」は新型コロナ対策で苦闘してきた欧州の政治家にとって想定外の出来事だ。規制措置、段階的解除、そして日常生活の回復といった新型コロナ対策の青写真に狂いが生じてきたわけだ。
人種差別抗議デモ集会が新型コロナの感染数を増やす結果となるかは、ウイルスの潜伏期間が終わる今月20日以降にならないと判断できないから、現時点では何も言えない。しかし、数万人の国民がマスクなしで抗議デモ集会に参加しているニュースは、政治家を不安にさせたとしても不思議ではない。
そこで抗議デモ集会の参加者について明確な新型コロナ対策の規制に乗り出したわけだ。具体的には、デモ集会主催者は最低の距離を取るのが難しいデモの場合、参加者にマスク着用を義務づけるようにしなければなならない。その他、デモ集会の場所が密集しずぎないように、開催場所を検討することなどだ。「人種差別抗議デモ開催の権利」と「新型コロナ感染の防止」という二律背反のような命題を可能な限り調和させるようにした妥協案だ。
興味深い点はオーストリアでは今月15日からマスク着用義務は大幅に解除されるが、「マスクの着用はもうしばらく継続すべきだ」という声が聞かれ出していることだ。マスク着用は新型コロナ対策のシンボル的な意味合いがあった。ちょうど、イスラム教徒の女性がスカーフを着用するようにだ。
マスク着用は欧州社会の文化でも伝統でもない。それだけにマスク着用が義務化された時にはそれなりの抵抗はあったが、新型コロナの感染がまだ拡大していた時でもあり、多くの欧州の国はマスクの着用に踏み切った経緯がある。
オーストリアのクルツ首相は、「新型コロナ対策で成果のあるアジア諸国から学ぶべきだ」と国民にアピールし、マスクの効用を国民に訴えてきた。それだけに、マスク着用の義務化の解除は、治療薬もワクチンも開発されていないにもかかわらず、新型コロナとの戦争で一方的に休戦宣言をするようなもの。相手(新型コロナ)がその休戦宣言を尊重するかどうかは全く不明な時にだ。
マスクを好んで着用したいと考える国民は少ないが、マスク着用の放棄は時期尚早ではないか、といった思いが規制緩和が進む今日、国民の中にも出てきているわけだ。「マスク着用の最大の効果はその使用者に心理的な安心感を与えることだ」とウイルス専門家が語っていたのを思い出す。
医療者用マスクではなく、通常のマスクではウイルスの侵入を防止できないが、自身の唾、咳の飛翔を防ぎ、他者を感染させないという効果はある。その意味でマスク着用は新型コロナ時代の利他的な生き方のシンボルでもあった。それだけに、シンボルのマスク着用を止めれば、その瞬間、新型コロナ対策の全てが消滅していくような脱力感に襲われる人が出てくるかもしれない。マスクの立場から言えば、「マスクの名誉回復」だ。たかがマスク、されどマスクだ。
当方は現時点ではマスクに退場を願うのはまだ時期尚早と考える。マスクに感謝の言葉をかけて外す日がそう遠い日でないことを願うだけだ。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2020年6月10日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。