日本における廃棄物問題は、人口規模と国土面積の制約から、最終処分場の確保が最大の課題であった。1970年に 廃棄物の処理及び清掃に関する法律=廃掃法が制定され、家庭から出る廃棄物は一般廃棄物として市町村が責任を持ち、産業廃棄物は都道府県及び政令市が責任を持つという2系統の管理が行われてきた。一般廃棄物の中間処理(焼却炉等)と最終処分場の運営は自治体の事業となった。
筆者の住む広島市では、1960年代後半から急増したごみに対し、既に最終処分場の用地確保が困難になっていたため、1975年7月に「ごみ非常事態宣言」を発令した。さらに、ごみ処理を市政の最重要課題の一つに位置付け、市民と行政の協力により当時まだ全国でも類のない5種類分別収集を1976 年6月から実施し、ごみの減量、資源化に努めてきた。
その結果、ごみの分別収集は今や当然のこととして市民に定着し、市民一人当たり のごみ排出量は政令指定都市の中でも非常に少ない数値になるなど、ごみの減量、資源化に大きな成果をあげた。
しかし、その後もプラスチック製品や事業系の廃棄物の増大などにより、都市部の廃棄物の処理は困難を極めた。特に1990年代後半には、焼却に伴うダイオキシン排出の問題がクローズアップされ、焼却処理の困難さから、再び最終処分場がひっ迫していた。
一方、それ以前から、廃棄物を減らす取り組みとして3R運動という取り組みが市民の環境団体を中心に行われ、行政の支援を受けていた。3Rとは、ごみの排出抑制(Reduce)、製品・部品の再利用(Reuse)、再資源化(Recycle)の頭文字であり、国も2000年には循環型社会形成推進基本法を制定し、3Rの考え方を導入した。
全国の自治体では、この3Rに加えて、お土産用のお菓子の箱に代表されるような過剰包装を断る(Refuse)という取り組みを加えて4 R運動を推奨し、展開する団体を支援した。これは、マイバック運動となり、レジ袋を無料配布するスーパーなどに対して非難する活動となった。
その結果、10年ほど前から広島市では、行政の要請に応じて、スーパー各社がレジ袋無料配布の中止(=有料化)として、3円から5円で販売している。ゴミ袋についても、市が販売する紙製の袋を利用することになり、市民に対してコストアップでごみを減らす作戦である。
しかし、その後、生ごみだけでは助燃剤がないと燃えないことや、焼却炉の性能アップによりレジ袋を燃えるゴミとして処理した方が合理的という事になり、その結果、市民が紙製のゴミ袋を別途購入する必要がない仕組みが出来上がった。レジ袋もゴミ出し用の袋として有効利用できるようになったのである。
家庭系可燃ごみの排出袋の取扱いについて(お知らせ)「排出袋は紙袋、ポリ袋のいずれであっても収集します」
今月から全国で実施されているスーパーやコンビニのレジ袋有料化の取り組みは、プラスチックごみが不燃物として扱われた時代の運動の名残であり、その30年前の成果が今頃形になったものである。
現在の技術的な側面から見ると、2周遅れの取り組みである。
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森下 兼年 環境コンサルタント、株式会社グリーンテクノロジー代表取締役