「正義感」を不快な相手を滅ぼす武器に使う人達

黒坂岳央(くろさか たけを)です。
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自分は昔から「正義」という名の鈍器で殴られてきたクチだ。「他の人はやっているのに、なぜ君はしないのか?」という集団による同調圧力、つまり正義を強制されるのが苦手だった。中学・高校を不登校児として過ごしたのは、ゲームにハマってしまったというだけでなく、同調圧力に疲れたというのもあっただろうと思う。今でもネット上で「正義の人」にいきなり殴りかかられるということを体験する。

正義とは多くの人にとって「悪を滅ぼす正しい行為」という認識だろうが、筆者は有無を言わせず自分の流儀を通すための武器に感じる事が少なくない。昔はウルトラマンや仮面ライダーといった「正義の味方」を頼もしく思っていたし、敵の怪獣や悪の組織を盲目的に滅ぼす対象だと信じていた。だが、人生経験を経て、最近はそうでもないと思うようになった。

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コロナ禍で捕まる「正義の人」

正義について考えるようになったのは、コロナ禍がきっかけだ。具体的にいえば「自粛警察」と呼ばれる正義の人が逆に逮捕されるニュースを見てそう感じた。「なぜ自粛しないのか?」と営業している店舗を脅迫したり、時には破壊行為に及んで逮捕されている。コロナ禍で水を得た魚になる「残念な自粛警察」はどんな思考の持ち主なのか?で詳しく述べたけど、彼らが自らの正義感を通した結果、犯罪行為に抵触して逮捕されているのだ。

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また、逮捕までされなくてもSNS上では正義の人をよく見る。彼らはタレントの不祥事や、倫理的に受け入れづらい行為をする人を捕まえて「あなたは間違っている!」と糾弾する(ちなみに具体的な事例を一度ここに書いたものの、その不祥事に突撃する人がいそうなので削除した)。彼らは自分の正義を通すために相手を痛めつけている。痛めつけられる側の立場に立つと明らかにやり過ぎ。だけど、彼らの正義感は簡単には止まらない。結果、加虐を招いて逮捕されてしまう。

この爆発的なエネルギーはどこから来ているのだろうか?中野信子さんの著書 ヒトは「いじめ」をやめられないの中にその答えがある気がした。「自分は正しいことをしている。正義を唱える人は自分以外にも大勢いる。相手は悪人だ。いくところまで徹底的に叩いてやろう」という構図で相手を痛めつけるのは脳が快感を感じているからだと思う。きっとこれは人類が生まれ持ったバグの一つだ。

 ネットで叩いてくる人は悪人ではなく「正義の人」

ビジネス誌、ネットで記事を書いていると内容によっては叩かれることがある。筆者は叩く側でなく、叩かれる側だ。そして叩いてくる人をじっくり観察してみると、熱量がすさまじくて驚かされる。過去の記事をしっかり読み込み、記事内の「粗」を丁寧に拾い集め、「あくまであなたのことを考えて言うんだけど」という紳士的な体で、どうすればこちらがもっとも傷つくのか?ということを考え抜いた言葉を届けてくる。思慮なき悪態が多いけど、たまに知性の感じられる批判もあって驚くことがある。

いつもこのような批判が送られてくるたび「ああ、もったいないな」と感じる。この労力と知性を自分の人生に使えば、今より高みにいけるだろう。批判の中にしっかりした知性も感じることもある。与えられた才能を自己研鑽に使わず、他人の批判に費やすのはもったいないと感じる。批判の多くはムダになるだけだ。

なぜ、そのようなムダなことに貴重な人生を費やすのだろうと、かねてから不思議に感じていたが、この記事を書いているうちに合点がいく気がした。きっと、彼らは自己研鑽より、他人を責めることで正義を通すことが気持ち良いのだろう。この辺の詳細の解説は脳科学者や心理学者の先生に委ねるが、端的にいえば「脳が気持ちいいからやる」というそれだけだ。

「人生は一度きり。今の時間は二度と戻らない。お金は失っても稼ぎ直せばよいが、次回は永遠に戻らない。時間は人生そのものであり、命と同義。自分の人生のプラスになることに使う」という感覚を持っている筆者からは、他人を痛めつけることにその時間を浪費することは理解不可能、なのでこれは想像でしかないが彼らは他人を叩く快感の気持ちよさには逆らえないのだろうと思う。体に良くないとわかりつつも、お菓子やお酒を楽しむのと同じロジックだと思う。多分。

 正義に酔うと人は残酷になる

「人は正義に酔うといきなり残酷になる。残酷な行為をする人は、根っからの悪人で何をしても悪いことしかしないのだ」自分は昔、こう思っていた。けど、実際には違うなと感じている。残酷なことをする人は、自分の正義に酔っている人なのだ。相手は殴り放題のサンドバッグであり、自分の他にも悪を憎む大多数の人がいる。数は正義なり、故に相手を滅ぼしていい正当性を自分は持っている。この思考は加虐を生み出すのだ。

「ウルトラ6兄弟VS怪獣軍団」という1970年代に制作された作品がある。もう50年近くも前の作品だということを考慮する必要はあるが、検索するとサジェストに「黒歴史」「トラウマ」と出てくることからもお察しの通り、この作品は結構怖い。本作の主人公・ハヌマーンがドロボウを捕まえるのだが、すぐには殺さない。その気になれば一瞬で殺せるのに、あえてそうせず、恐怖におののき、逃げ回る様子を見てハヌマーンは笑う描写がある。ドロボウに骨の髄まで恐怖を染み渡らせてから殺すさまと、「悪いことをするヤツは死ぬべきなんだ!」と吐き捨てるセリフに、初めて見た子供の時分に言葉にできない残酷さを感じた。

正義に酔うと人は残酷になる。悪いやつを懲らしめるためなら、徹底的に再起不能なレベルに追い込む。…ああ、誤解しないでほしい。世の中の正義の大多数は通すべきものがほとんどだ。けど、一部の現代人は正義を合法的な武器だと勘違いして笑顔で相手を殴りつける。

日々、ネットでビジネスをしていると、正義に狂った人に遭遇する。彼らを見るたびにウルトラ6兄弟VS怪獣軍団に出てきたトラウマシーンを思い出してしまうのだ。

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ビジネスジャーナリスト
シカゴの大学へ留学し会計学を学ぶ。大学卒業後、ブルームバーグLP、セブン&アイ、コカ・コーラボトラーズジャパン勤務を経て独立。フルーツギフトのビジネスに乗り出し、「高級フルーツギフト水菓子 肥後庵」を運営。経営者や医師などエグゼクティブの顧客にも利用されている。本業の傍ら、ビジネスジャーナリストとしても情報発信中。