ゲオルグ・ラッツィンガー神父(Georg Ratzinger)が1日、亡くなった。96歳だった。前ローマ教皇べネディクト16世の実兄だ。同氏の埋葬は8日、独レーゲンスブルク聖歌隊用の墓地で行われる予定だ。レーゲンスブルク司教区によると、国内外から500通の哀悼の辞が送られてきたという。
ラッツィンガー家は兄が神父となり、教会合唱団責任者、3歳下の弟ヨーゼフ・ラッツィンガ―はバチカンで教理の番人と呼ばれた教理省長官を務めた後、第265代のローマ教皇(べネディクト16世)に選出され、長女のマリアは修道女として献身し、1991年に亡くなった。3人の兄弟姉妹が神に献身したファミリーだ。
それゆえというか、兄弟姉妹の絆は常に固かった。姉マリアが亡くなった時、べネディクト16世は大きな衝撃を受けている。ゲオルグの健康が良くないと聞いたヨーゼフは先月18日、ローマから私設秘書ゲオルグ・ゲンスヴァイン大司教、医者、看護人、修道女を引き連れてレーゲンスブルクまで4日間の長旅に出て、兄と最後の語らいの時を持った、とバチカンニュースで詳細に報じられたばかりだ。
ゲオルグは1964年から94年まで、レーゲンスブルクの教会合唱団の団長だった。レーゲンスブルクの「レーゲンスブルク大聖堂少年聖歌隊」(Domspatzen)といえば、世界最古の少年合唱団で有名だ。その合唱団内で1953年から1992年の間、性的暴力、虐待事件が発生し、メディアで大きく報道された。その総数は422件に及ぶという。合唱団内の少年たちへの性的虐待事件は30年余り同合唱団を指導してきたゲオルクにとっても大きな衝撃を与えたことは明らかだ(「独教会の『少年聖歌隊』内の性的虐待」2016年10月16日参考)。
2002年から12年まで10年間、レーゲンスブルク司教を務めたゲルハルト・ルードヴィヒ・ミュラー枢機卿(バチカン法王庁前教理省長官)は、「レーゲンスブルク司教となって以来、18年間ほどゲオルグとは親しく会合してきた。彼は敬虔で正直なキリスト者だ。彼にとって音楽は自分の喜びの為ではなく、神を讃えるためにあった」と述べている。同聖歌隊内の性犯罪問題が発覚して以来、ゲオルクの責任を追及する声が聞かれたが、同枢機卿は、「一部の聖職者の性犯罪の責任をメディアから追及されたゲオルグは教会音楽に帰依してきただけに、大きな痛みを感じていたはずだ」と述懐している。
警察官の父親と母親マリアの間に生まれた3人の兄弟姉妹が結婚はせず、聖職者の道を歩んだということを知って、素晴らしい敬虔な家庭だと称賛する声もあるが、当方は正直に言って3人の兄弟姉妹は別の時代に生まれていたら、結婚し、家庭を築いていたかもしれないと考える。第2次世界大戦勃発後、若き兄弟ゲオルクとヨーゼフはヒトラー・ユーゲンドに加入。終戦後、2人は神学校に通い、聖職者の道を歩みだすことになった。
昔の日本では貧しい家庭の子供たちは勉強したければ寺に入ったように、欧州でも当時、優秀な若者たちは神学校に入る者が少なくなかった。ゲオルグは教会音楽の道を開拓し、ヨーゼフは神学を学び、近代教皇の中でも最高峰の神学者といわれる指導者に上り詰めていったわけだ。
べネディクト16世は2010年2月2日、「僧職に奉じた人生の日」への記念礼拝の中で、「修道院生活の意義はカトリック教会にとって大きい。修道僧や修道女のいない世界はそれだけ(霊的)貧困となる。彼らは教会と世界にとって価値ある贈物だ」と強調し、修道僧や修道女、聖職者の献身的な歩みに感謝を述べている。
当方は「修道院・出家時代は終わった」(2013年11月5日)のコラムの中で、家を出、独身で神の道を歩む時代は終わったのではないか、という疑問を投げかけた。修道院が過去、果たした役割は大きい。社会から隔離された修道院で瞑想しながら、神への信仰を深める一方、多くの修道僧や修道女は社会的奉仕活動、医療活動を行ってきたことは周知の事実だが、神の願いを家庭の中で実践していく人生が本来大切ではないかと考えるからだ。神は自分の似姿としてアダムとエバを創造し、彼らに「産めよ増えよ」と祝福しているのだ。
ゲオルク・ヨーゼフ兄弟は聖職者としては立派な道を歩んできたかもしれないが、それだけでは何か寂しさを感じるのだ。彼らの歩みを伝える子供たちはどこにいるのか。姉マリアを失った時、べネディクト16世はそのことを強烈に感じたのではなかったか。そして今、兄ゲオルクを亡くしたヨーゼフは心の底からくつろいで語り合える兄弟姉妹、親族がいなくなったのだ。どんなに寂しいことだろうか。