大学入試新テストの矛盾とアクティブラーニング

定年退職後、わずか4カ月で福島県教育委員会から詐欺紛いの雇い止めをされた体験をもとに執筆(後半部分は創作)した『再雇用されたら一カ月で地獄へ落とされました』(双葉文庫)のラストで、主人公は「もう一度教壇に立とう」と決意するのだが、ご縁があって、私も近所の予備校で週に1日だけ、浪人生を相手に日本史を教えている。ちょうど今、夏季講習の前半が終わったところだ。

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何しろ38年と4カ月もそれで飯を食ってきたのだから、受験対策にかけてはプロ中のプロを自認していたのだが、今回ばかりは苦労している。新テストへの対応がとにかく大変なのだ。

ご存じの通り、大学入試センター試験は昨年度をもって終了し、来年1月からは「大学入学共通テスト」に移行する。新たな時代に合わせ、知識の量だけでなく、自ら問題を発見し、答えや新しい価値を生み出す力を養成する……と方針は立派だったのだが、「国語と数学で一部記述式を導入」、「民間検定試験を英語で活用」という改革の目玉について、さまざまな問題が指摘され、両方とも取りやめになってしまった。

しかし、だからといって、従来のセンター試験に戻るわけではないので、「思考力・判断力」を重視する出題が増えることが予想され、大手予備校が作成した夏季講習のテキストでも、新傾向対策の「チャレンジ問題」が大幅に増えた。

その内容はというと、日本史に関するある問題について先生と生徒たちが話し合い、資料や統計、芸術作品などをもとに個人ごとに意見をまとめ、クラス全体で議論を行い……と、いわゆるアクティブラーニングの展開例がそのまま問題になっているから、生徒と一緒に解くのにもやたらと時間がかかってしまう。

講習初日、汗びっしょりになって何とか予定を消化し、チャイムの音を聞きながら、ふと思ったのだが……新テストにこんな形式の出題をするのは、実際の授業の中でも同様の活動が行われたことが大前提のはずだ。

今年度は長引いた休校の影響で、どこも教科書を終わらせるだけで四苦八苦。よほどの駆け足でもしない限り、最後の頁まで行くのは不可能だ。3年生の日本史の授業にアクティブラーニングを取り入れられる高校など、年度末まで待っても、おそらく皆無に等しいだろう。

それなのに、入試問題だけ変えるのは悪い冗談としか言いようがない。まさに矛盾そのもの。文部科学省は1日も早く、「このような事態になったので、新テストの出題傾向はこれまでのセンター試験とほぼ同様にします」と宣言すべきだ。そうすれば、受験生の負担は大きく軽減される。

そもそも私は、文科省が現在旗振りをしているアクティブラーニングそのものにも、費やした手間や時間に見合う効果があるのか、大きな疑問を抱いている。大切なのは授業の形式ではなく、生徒が自ら学ぶ意欲を感じる手がかりや材料を提供することだ。

ビジネスや政治の世界で活躍される方は日本史好きが多いと伺ったので、その一例として、釈迦に説法かもしれないが、少しだけおつき合いいただきたい。

予備校で教えてみて、とにかく驚いたのは、高校時代にほとんどの生徒が「偏諱」(へんき)について教わっていない点だった。「一字拝領」とも呼ばれるが、武士が正式な名前である諱(いみな)を名乗る際、主君の諱から一文字を与えられる慣習だ。

これが教科書に載っていないかというと、そうでもなく、高校で圧倒的なシェアを誇る『詳説日本史B』(山川出版社)には「足利高氏(のち尊氏)も幕府に背いて六波羅探題を攻め落とした」と書かれている。

ただし、残念なことに、「高氏」が鎌倉幕府最後の得宗(嫡流の当主)である北条高時から、そして「尊氏」が後醍醐天皇(諱が尊治)から一字を拝領していることは、脚注でもまったく触れられていない。

偏諱は特に室町時代以降を理解する上で非常に重要であり、人と人との関係が把握できるし、江戸時代になると完全に制度化され、池田光政や徳川光圀ならば3代将軍の家光から、島津斉彬や徳川斉昭なら11代家斉からと、大名の名前を見ただけで生きた時代がわかってしまう。

ある年、鎌倉幕府滅亡のところで、その説明をした1週間後、戦国時代の授業を終えて廊下へ出ると、一人の男子生徒が追いかけてきて、目を輝かせながら、私にこう言った。

「先生、陶晴賢っているじゃないですか。あの人は主君から一字もらわなかったのかなと思ってググッてみたら、元は『隆房』って名前で、主君の大内義隆を裏切って死なせたから、あとで『晴賢』って改名したって書いてありました。足利尊氏と同じですね!」

ええと……渡辺君、あの時は勇気がなくて言えなかったけど、私はそんなこと全然知りませんでした。興味をもって、スマホで調べた君は本当に立派。これこそが真のアクティブラーニングなんです!