今こそ、宇沢弘文先生。
ウイズコロナ、ポストコロナの時代の政策・理念を模索している内に、宇沢弘文先生の「社会的共通資本」(岩波新書、2000年8月)を読み返すことになりました。1980年代の大蔵省経済理論研修で宇沢先生の講義を受けましたが、先生は黒板に数式を書いては消し、消しては書き、ほとんど理解できないままでした。それでも、何となく先生のリベラルな魂は伝わっていたように思います。
社会的共通資本とは、大気、森林などの「自然環境」、道路、電力・ガスなどの「社会的インフラ」、教育、医療、金融などの「制度資本」が構成要素であり、人々がゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開していくための社会的な装置です。
社会的共通資本は国家の統治機構の一部として官僚的に管理されたり、利潤追求の対象として市場的な条件に左右されないことが求められます。
宇沢先生は、これまで学校教育に市場的な競争原理を導入したり、官僚的な基準で管理してきたことの誤りを鋭く批判します。それから20年経って、国立大学の独立行政法人化によって基礎的な研究は致命的に劣化するなど事態はさらに悪化しています。
社会的共通資本としての医療は、「医療を経済に合わせるのではなく、経済を医療に合わせるべき」との主張をされました。現実には、硬直的な診療報酬制度と効率最優先の制度運用により、新型コロナウイルス感染症で医療崩壊寸前までに追い込まれました。
その意味では、医療や介護関係の方々のみならず、宅配やタクシーのドライバー、スーパーマーケットや公共交通機関の職員さんなど、いわゆるエッセンシャルワーカーと呼ばれる方々も社会的共通資本であることがわかりました。
しかし、このような働き方をしている皆さんの多くは、必ずしも働きに見合う賃金や処遇を受けていなかったのではないでしょうか。社会的共通資本であるエッセンシャルワーカーの分野に経済原理が働き過ぎた結果です。週刊東洋経済のコラムニスト野村明弘さんは、コロナ対策の反射利益を得た集団からエッセンシャルワーカーへの所得の再配分を行うことを提案されています。
その他、宇沢先生は地球温暖化と生物種の多様性の喪失など地球環境にかかわる問題についても、社会的共通資本の管理・維持という観点から考えるべきと警鐘を鳴らしています。
行き過ぎたグローバリズムを修正し、気候変動にも対応した持続可能な働き方や、生活の見直しなどコロナ後の社会を考える時に、宇沢先生の「社会的共通資本」の考え方はその土台となるものだと思います。
編集部より:このブログは衆議院議員、岸本周平氏の公式ブログ、2020年7月20日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は、岸本氏のブログをご覧ください。。