コロナ患者特定に見る21世紀の「村社会」~こんなんじゃ地方創生が難しい

新型コロナウイルスが猛威を振るっている。先日、これまで感染者が0であった岩手県でついに感染者が出てしまった。その後、感染者が所属する会社に苦情電話が殺到し、所属企業がHPで発表せざるをえない状態になった。

写真AC:編集部

そのほかにも、鳥取県では「同情の余地はない」や「自業自得」「意識低すぎ」というネットでの書き込み、静岡県では自宅の壁に落書き、山梨県の女子大生では個人情報の特定も見ても、「魔女狩り」のような光景。

これが21世紀の出来事なのか、と衝撃を受けた。

岩手県での感染者特定騒ぎ

岩手では、感染者の所属する会社に苦情電話やHPへのアクセスが殺到し、サーバーが一時ダウンすることがあり、会社は公表せざるをえなかったそうだ。どういう人が電話してきたのかわからないが、一種のカスタマー・ハラスメント(カスハラ)である。カスハラとはカスタマー(消費者、利用者、顧客)によるハラスメントと定義される。

正義感ゆえの行動かもしれないが、ほぼ中傷、営業妨害である。そもそも知らない他人に、文句を直接言う資格は、その人にあるのだろか?

達増拓也知事が「犯罪にあたる場合もある。厳格に臨む意味で、鬼になる必要がある」と主張したのは当然であろう。感染者や会社は中傷に対して、訴訟などで毅然とした対応していくべきだし、そうした動きを国や僕らは支援すべきだろう。

特定者騒ぎの誤解の裏

感染すること自体が問題ではないし、感染することは仕方ない。「自粛生活していないのだろう!」という感情的な反発はよくない。そう反発する人に聞いてみたい。

【質問】親友が感染し、自分も罹患した時に「お前のせいで!」と友人を責めるか?

【質問】風邪にかかったことで、他人を批判するか?

【質問】もし自分が感染した時に、知りもしない他人からネットなどで行動を批判されることを受け入れるか?

という質問をしてあげたい。ほとんどの人がノーと答えるだろう。なので、こうした行為をしてはいけないと反省したほうがいい。

感染すること自体は仕方ない事である。避けられるよう努力しても、かかってしまうし感染対策がどれほど効果があるのか、科学的には本当のところはわかっていないからだ。以前はWTOですら「マスク装着は感染防止において科学的根拠はない」ということを言っていたほど。

知らない他人だからと言って、感情的に批判する、ネットに書き込む以上のことをするのは、成熟した民主主義社会としての大人としての責任を果たせていないということでもある。

地方創生において壁になる「村社会」

山梨県の女子大生の身元が特定されるなどの騒ぎもあった。withコロナの時代において、リモートワークとデジタル・トランスフォーメーション(DX)が進み、地方に移住し、そこで仕事したり生活ができる、地方創生が進む可能性もあった。

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しかし、このような「村社会」をする人が一定程度いるというところに、「やっぱり地方は怖い」と感じた人も多いだろう。正直僕もそうであった。

「あそこはコロナ患者がでたらしいよ」と仲間内で話題になるのは人間だから仕方ないかもしれない。しかし、それ以上に、そのことに対して義憤を感じて行動をとる人が一定以上発生する。

我々の先祖は、感染力の弱いハンセン病患者に対しても、外見のせいで、差別をしてきた。そのような過去と「差別をやめよう」ということを義務教育で学んできたのではないだろうか?自治体で行われている「人権教育」を正しく理解してきたのだろうか?

コロナ患者への中傷は地域の連帯を棄損し、地域コミュニティはますます再生が困難になる。中傷を受けた人が地域コミュニティに参加したいと思うだろうかを考えれば自然なことだ。

そもそも、地方出身者の立場で考えると、育った町では、中学・高校の「スクールカースト」のピラミッドの上に立つ人が、ブイブイ言わせているため、その時の関係性が変化しづらく、気分がいいものでない。したがって、地元に帰って生活するという判断をとりにくい。

コロナ感染者が出たとしても、地域コミュニティが「中傷はいかがなものか?」「カスハラを気にするな」と応援したり、守ってあげたりする。そんな地域が生まれてくることを期待したい。