資産隠し、収賄、元愛人への多額の資金提供などの疑惑で捜査を受けているスペインの前国王ファン・カルロス1世が、すでに自国を離れたようだ。先月、スイス検察からの報告書がスペインの検察に渡され、スペイン国内で前国王への批判が高まっていた。
問題は前国王のスキャンダルだけでは済まされず、スペインにおけるブルボン王家の存在意義が問われそうになっているということだ。
2015年以後、スペイン王家についての世論調査の実施は廃止されたが、昨年、電子紙『エル・コンフィデンシアル』の芸能界などのスキャンダル専門報道部門「バリタリス」に掲載する目的で、IMOPインサイト社が世論調査をした。その結果、現在の立憲君主制を支持すると答えた人は僅か50.8%だったということが明かにされたのである。
また共和制を支持すると答えた人や明確な回答をしなかった人と合わせて46.1%だったという。1980年代には王家への支持率は70%以上あったことと比較すると、これは明らかにスペイン国民によるブルボン家への支持が減少しているということを示したものである。(参照:moncloa.com)
また、別の調査では、カタルーニャでは王家の存在に反対を表明しているひとが74%、王家を支持している人が21.6%という回答が出ているそうだ。
その一方で右寄りの紙面『ラ・ラソン』は上述の世論調査に疑問を持ちNCレポートに調査を依頼。それによると、国王が務めている役目を肯定的に受け止めている人が62.4%と回答、55.5%の国民が現在の立憲君主制を支持し、共和制に傾いている人は34.1%だったと報告している。但し、18歳から34歳の若者の間では王家の存在に反対している人が46.5%いるということも明らかにしている。
今回のスキャンダルの発端は前国王が弁護士を介してパナマにオフショア企業を設立し、そのあとバハマ諸島に本社を構えるミラボー銀行(Banque Mirabaud)のスイス支店に口座を開設。口座番号は505523だった。その後すぐにサウジの当時国王アブドゥラ・ビン・アブドゥル・アズィーズからこの口座に1億ドル(107億円)が送金された。
スイスの検察はこの送金はスペインがサウジに建設した高速列車の手数料ではないかと見ている。しかし、その受注は3年後のことで、受注前に多額の支払いがあるというのも理解し難い。
そこでもう一つ考えられるのは、2008年に「スペイン王国とサウジアラビア王国一般協力合意書」がマドリードで交わされた。その為の会議が同年7月16-18日にもたれ、当時の両国王も出席。そしてファン・カルロス国王はアブドゥラ・ビン・アブドゥル・アズィーズ国王にスペイン王位の最高位の騎士団勲章として現存している金羊毛勲章(トイソン・デ・オロ)を、同様に現王位継承者のムハンマド・ビン・サルマン皇太子にはカルロス三世騎士団勲章をそれぞれ授与したのである。アブドゥル・アズィーズ国王はこのスペイン国王からの歓待に非常に満足したという。そのあと8月8日にサウジ国王から1億ドルが送金されたということで、寧ろこの授与と1億ドルの送金が関係しているのではないかという見方もある。(参照:elconfidencial.com)
それ以外にもう一つこの口座にバーレン国王から190万ドル(203億円)の送金があった。これはファン・カルロス前国王がトランクに現金を詰めての入金であった。前国王はそれから2012年まで定期的にこの口座から2か月ごとに多額の金を引き出していた。(参照:elconfidencial.com)
ところが、前国王が元愛人コリーナを同伴してアフリカのボツワナで象狩中、腰を痛めて急遽マドリードの病院に搬送されたというスキャンダルが発覚。ミラボー銀行はこのスキャンダルを重く見て口座の解約を求めたという。その時点で前国王はこの口座にあった預金から6500万ユーロ(78億円)をコリーナの口座に振り込んで、この口座を解約したのであった。
コリーナはこの送金について、それを要求したのではないということを明らかにし、国王が健康に問題を抱えていた数年、彼女が介護した。それで国王は彼女と息子に愛情を感じるようになったと答えたのであった。
この送金額が如何に度を外れた高額であるかということを示すものとして電子紙『モンクロア』は前国王は当時国王として政府から年間で20万ユーロ(2400万円)が支給されていたということで、コリーナに送金した金額を貯めるには325年間一銭も使わずに勤めて得られ額だと指摘している。
政府与党の社会労働党と野党国民党、それにシウダダノスを加えた3党は、このスキャンダルが導火線となって現国王フェリペ6世の王位が揺らぐことを何が何でも避けるということで合意している。
一方の社会労働党と連立政権を保っているポデモスは、共和制を支持する政党だ。社会労働党に隙あればカタルーニャとバスクの独立政党と一緒になって現政治体制を崩すことを狙っている。実際、ポデモスは議会で調査委員会を設けて前国王に委員会に出席してもらって委員会のメンバーからの質問に答えてもらうという提案をしていた。それは社会労働党、国民党、シウダダノスが極力反対して議会で拒否された。
フェリペ6世も父親に対して厳しい姿勢を示す意向だという。現政治体制が揺らぐことになると、ブルボン家の王家としての存続が保障できなくなるからだ。ということで、前国王がスペインから離れることになったようだ。
フェリペ6世の曽祖父アルフォンソン13世は当時共和制となったスペインから亡命してフランス、米国、スイス、イタリアと転々としてローマで亡くなった。前国王がこれから置かれる立場はアルフォンソ13世とは異なる。しかし、アルフォンソ13世と同じようにスペインを離れねばならない運命にあるようだ。
ファン・カルロス前国王はフランコ独裁体制から民主化への移行では異なった政治イデオロギーの上に君臨して象徴的な役目を担い平和的に民主化への移行を成功させた。また1981年2月23日の一部軍人と治安警察によるクーデターも未遂に終わらせたのも前国王の存在抜きにしては語れない。
しかし、民主化が強固なものになって来るとファン・カルロス前国王にも油断が出て来たようである。そのツケは非常に重く、前国王の処遇が今後のブルボン家のスペインでの存続を左右するまでに発展している。