問題は「犬」ではなく「金正恩氏」だ

韓国日刊紙最大手「朝鮮日報」日本語版8月3日付には金正恩朝鮮労働党委員長が7月、「平壌市民に犬を飼うな」という“ペット禁止令”を発したという記事が掲載されていた。金委員長は「国が困難な時、ペットを飼うとは何事か」と激怒し、平壌市民に見られるペットブームを「ブルジョア思想に染まった行為」と糾弾。それを受け、「人民班ごとにペットを飼っている家を全て把握し、自分から差し出させるか、強制的に取り上げて処分している」「ペットの一部は中央動物園に送られ、一部はタンコギ店(補身湯=犬肉の鍋料理店)に売られたり、食べられたりしている」というのだ(朝鮮日報)。

金正恩氏が文在寅大統領に贈った北朝鮮の豊山犬(韓国大統領府撮影)

金正恩氏は「ベット禁止令」の理由として「国が困難な時」を挙げているが、その責任はもちろん「犬」にはない。厳密にいえば、北朝鮮の最高指導者金正恩氏自身の責任だろう。独裁者は常にプラスの成果は自分の功績と誇示し、マイナスは他人のせいにし、自身の国家運営の失敗に対し責任を取ろうとはしないものだ。金正恩氏は典型的な独裁者だ。

北朝鮮の国民経済は重症だ。昨年の国内総生産が増加したという一部の報道があったが、同国の実体経済はカタストロフィだ。新型コロナウイルスの感染防止でいち早く対中国境線を閉鎖したが、コロナ問題が長期化するにしたがい、北朝鮮も苦しくなっており、中国との経済交流をいつまでも停止しておくわけにはいかなくなってきた。コロナ感染を防止する一方、対中経済を可能な限り正常化したい、というのが金正恩氏の本音だろう。それがうまくいかないので、平壌市民が飼っている犬に向かって八つ当たりしたわけだ(朝鮮日報によると、北朝鮮は今回、ペットを飼うことを禁止したが、食用犬の飼育は対象外という)。

少し説明するが、「ペット禁止令」はあくまで首都平壌だけを対象としている。北では平壌に住む住民はエリート層、労働党幹部の家庭、親族に限定されているから、「出自の悪い住民」は平壌に住むことは出来ない。そのエリート層の住民が「国が困難な時」、ペットを飼ってのほほんとしている姿に金正恩氏は激怒したのだろう。国難への危機感、連帯感が乏しいのをみて、金正恩氏の怒りは「ペット禁止令」となったというわけだ。

人民班が犬を強制没収するために自宅捜査をしているというが、なんと非生産的な活動だろうか。もう少し国民経済を復興させる生産的な活動ができないものか。いずれにしても、「ペット禁止令」は経済難に遭遇している北朝鮮住民、特に指導層の規律を正すという狙いがあるとみて間違いないだろう。

朝鮮日報は北朝鮮のペットの歴史について、「北朝鮮は過去にもペットを飼うことについて『腐り切った資本主義文化』として排撃してきたが、1989年の世界青年学生祝典をきっかけに認識が変わり、高位層と富裕層を中心にペットを飼うようになった。その後、韓国ドラマなど韓流の広がりでペットが高位層や金持ちの自慢用として流行した。一般住民はアパートのベランダで豚や家畜を飼っているが、高位層や金持ちがペットを飼うことはぜいたくと認識され、不満の声が出ていた」と説明している。

ところで、「腐った資本主義文化」というペットの犬を2頭、金正恩氏は文在寅韓国大統領にプレゼントしている。金正恩氏が文大統領に贈った2頭の犬は豊山犬だ。豊山犬は朝鮮語で「プンサンゲ」と呼ばれる北朝鮮豊山郡原産の狩猟用犬。その2頭の間から生まれた豊山犬ヘン二ムが不祥事を起こしたため、ニュースとして報じられた。そのニュースも朝鮮日報の記者が最初に報道したのだ。(同紙には犬が好きな記者がいるのだろう。犬と人間の交流話を決して見逃さない)。

ヘン二ムの不祥事とは、ヘン二ムが昨年12月末、散歩の途中出くわした犬と喧嘩を始め、それを抑えようとした担当者の手を噛んだという事件だ。このコラム欄でも詳細に報道した(「金正恩氏の贈物『豊山犬』の不祥事」2020年1月7日参考)。

金正恩氏は精神的に追い込まれてきている。「人民第一主義」を掲げたものの、キャッチフレーズを変えたからといって国民経済が直ぐに良くなることはない。3食も十分取れない大多数の国民のイライラが次第に伝わってきた。なんとかしなければならないが、新型コロナウイルスの感染防止ということもあって余り動けない。自身の健康状況も良好とは程遠い。金正恩氏が怒りを発する機会が増えてきた。「ペット禁止令」は金正恩氏のイライラが危険水域に入ってきていることを物語っている。要注意だ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2020年8月5日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。