私がゼネコンの本社勤めをしていた80年代後半、優秀な社員を毎年1-2名、会社が費用を出して海外でMBA取得をさせるプログラムを提供していました。私より5-6年上のK先輩もハーバードに留学中、シアトルに出張中の会長へ経過報告に来たので私もいろいろ話をさせて頂きました。
氏が「お前、アメリカの映画を観てどれぐらい英語が理解できるか?」といわれたので「いやぁ、あらすじを追うぐらいで」というと「よかった。俺もそんなもんなので遅れているのかと思った」と。私と比べて何の得にもならないとは思いますが、その後、氏は無事卒業し、会社に復帰しました。
今思い返せば会社が費用負担してMBAを取った社員できちんと勤め上げたのは彼だけでした。他全員、戻ってきてわずかの間に退職していきました。理由は「世界観が変わった」と。「中堅ゼネコンじゃやってられん」と思ったのでしょうか?
当時、MBA取得第一次ブームで社内では自費で国内の夜間大学院に通う人も散見できました。それらの人たちは卒業後も多くが会社に残りましたが、果たしてどれだけの変化があったか、私には目に見えたものは記憶にありません。特別出世したわけでもありませんでした。
少し前のブルームバーグに「経営学修士号に1600万円投資、今や疑問のその価値 将来設計崩れる」という記事があります。同社の記者が自費でニューヨーク大学スターン経営大学院に通い充実した学生生活を送ったものの、卒業したらコロナで自分を高く売るどころか、記者の仕事を続けるのが精いっぱいだったというものです。ただ、私が気になったのは「15万ドルを使うというのはリスクではあった。しかし私は、自身への投資の方が不動産を買うよりも大きなリターンを生むだろうと考えた」というくだりです。
この方はMBAを取得することにより稼ぎを増やそうという発想だった点に私は恐ろしいほど違和感を覚えるのです。確かにMBAはビジネススクールとして実務を厳しく指導されるところなので卒業後の実践力はついているでしょう。しかし、MBAは経営のテクニックを磨くことで会社経営をより効率的でより成長させるための手段を学ぶのであり、稼ぎはビジネスの成長に付随してくるおまけと考えるべきなのです。
北米では人の採用の際、給与の話が出ますが、自分のことを非常に高く売り込むのに長けた方がいるのは事実です。履歴書のキャリアとMBAがあればちょっとぐらいの給与では見向きもしません。しかし、MBA取得者がそれなりのチカラを発揮できるかは個人の素養と環境次第でせっかくの投資が役に立つかどうかは別物なのです。
カレン・フェラン著の「申し訳ない、御社をつぶしたのは私です」という書があります。MBAと優秀なコンサル会社勤務という自負から顧客に対して上から目線となり、自分に過信し、顧客の会社に学術的な改善を押し付けたら、その会社が行き詰まったという問題作でした。
創業者になりたいならMBAよりも野心が重要でしょう。一方、MBAを持って企業で偉くなるなら改善と改革、それに伴う成績、社内での高い評価を繰り返し得ることで組織を上り詰めるのが王道になります。もう一つはやや小さめの企業の転職を繰り返し、ホップステップジャンプで幸運をつかむかのどちらかだと思います。MBAの肩書は企業側からすればポジション次第では使いにくいというイメージが出ないとは限りません。
上記のブルームバーグの方の逸話ではありませんが、コロナで働き方も変わる、企業経営も大きく変わるとなればMBAが光るというより個人の持てる総合的な能力が最後はモノを言う気がいたします。もちろん、MBAを取得するとは優秀で頭脳明晰であることが前提になるわけでそれを否定するものではありませんが、MBAありきというのは違うんじゃないかと思います。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2020年8月6日の記事より転載させていただきました。