幕末とコロナ:激動の時代の人づくり

さる7月4日、慶應大学総合政策学部 鈴木寛研究室と山口県萩市が地域おこしと人材育成を連携して行う連携協力協定を結びました。

萩市の藤道市長(左)と協定締結の会見に臨む筆者(山口県萩市公式Facebookより)

今回のコラボレーションにより、地域おこしの連携や、実践する人材の育成について、萩市の皆さんと一緒に行うことになりました。その第一弾として、萩市内の高校の魅力アッププロジェクトを開始します。具体的には、すずかんゼミが萩の高校生の探究学習を支援させていただきます。

調印式は世界遺産にもなっている松下村塾にて、私と萩市の藤道健二市長が出席して執り行われました。調印式には市内に3つある高校の校長先生もご出席いただき、早速今後について意見交換もさせていただきました。

私の人づくりの人生は通産省から山口県庁に出向していた1993年から1995年までの2年間、20回、この松下村塾に通ったことから始まりました。すずかんゼミの、そして私が教育をライフワークに定めた原点がここにあります。この日を迎えられて、感謝、感激でした。

初めて松下村塾を訪れた日の記憶はいまでも鮮明です。まず驚いたのはその規模。わずか八畳と十畳の二間しかないのです。そんな狭い平屋建ての茅葺小舎に、延べで92名の塾生が学んでいたのです。もうひとつ驚きなのは、吉田松陰が松下村塾で教えていたのは、実家で身近な人たちに教えていた期間を含めても、実質2年ほどしかなかったことです。

松下村塾(harunoume/写真AC)

こぢんまりとした小屋で、わずかの期間にどのような教育をしたから、高杉晋作や伊藤博文のような偉人たちを輩出できたのか、私の人づくりへの探究心がむくむくと芽生えていきました。松蔭に関する書籍、それこそ山口でしか手に入らない貴重な文献を含めて読み漁るうちに印象的だったのは、現代の学校教育と比較しても実に先進的な取り組みをしていたことです。

一つだけ挙げると、まさに今で言うアクティブラーニングの考え方だったといえます。大河ドラマで、高杉たちが「豊臣秀吉とナポレオンが戦ったらどちらが強いか」で論争するシーンが描かれていましたが、実際の松下村塾も議論を重視していました。当時の寺子屋や藩校は先生が書物の知識を一方的に教えることが普通でしたので実に画期的でした。

幕末・維新から150年余。既成概念がひっくり返る中で、時代を切り開く人材の育成が求められている点で、コロナ禍の現在とも共通します。まずは松下村塾の御恩に報いるため、萩の高校生に恩送りしたいと思います。萩から日本中、世界中の同士と共に教育維新を胎動させていきます。