思わず瞠目した会見。その中身は「草枕」のごとし
先の通常国会閉会後、いま一つパッとしない印象のまま続いていた国民民主党と立憲民主党の復縁騒動。
私自身はどちらかというと冷ややかな目で見ていながらも、今回の国民民主党・玉木雄一郎代表が出した決断は大いに注目すべきものでした。
発表以降のタイムラインやSNSのコメントを追いかける限りでも、おおむね好意的に受け止められている印象を感じます。
通常は不偏不党をモットーにする私も、今回ばかりは立場を抜きにして、いや不偏不党だからこそ、素直に玉木代表の決断を評価したいと思います。
かねてからの両党合流に関する争点といえば、大きくは2つありました。
ひとつは党名をどうするか、そして消費税の減税賛否などの主要政策の方向性が表向きではありますが、実際のところは「合流にとって、自分の選挙区は安泰でいられるのか、それとも血みどろの抗争を余儀なくされるのか」、それが全てでありましょう。有権者はそこまで馬鹿ではありません、お見通しです。
それに対する玉木代表の答えは、次のような見事なものでした。
「地方議員や党員サポーター、そして国民が納得できる“大きな塊”を作ることを粘り強く求めてきたが、党首会談も残念ながら行われず、軸となる基本政策について一致が見られなかった」
「理念や政策が異なる人が集まって無理矢理党をつくっても、過去の反省を活かせないと思った」
「合流すべきという人と、すべきではないという人で分党するしかないという結論に至った」
今回の合流劇が次の選挙の当落を分ける方にしてみれば、恐らく賛成あるいは反対、それぞれ言い分もあることでしょう。
そんな折、夏目漱石の名作「草枕」の冒頭が思い浮かびます。
「知に働けば角が立つ、情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。」
一連の合流劇も、結局はそういうことなのでしょう。ならば最後は、虚心坦懐になって各々が思い描く「政治のあるべき姿」に従うよりない。
玉木代表が今回発した結論は、恐らく考え得る限り最善の判断であったと私は評価します。党首の立場としても、また一議会人の立場としても、よく決心されたと思う。いずれにしても賽(さい)は投げられました、今後は国民と立憲、両党の所属議員がそれぞれどう判断するかです。
受ける立憲・枝野さんは、初心を思い出せるか
一連の合流劇ではどちらかというと立憲民主党、中でも執行部の方々には格好悪い印象を持っています。ごめんなさい。いくら不偏不党でも、時には言います。実際に今の立憲民主党は、私から見たら格好悪い。執行部の方々が意固地になっているように見えてならないのです。
特に枝野幸男代表には、初心をぜひとも思い出していただきたいと思います。
なぜ3年前、たった一人でも立憲民主党を立ち上げようと思ったのか。あの時の枝野さんは格好良かった。イデオロギーではありません。思い切りの良さに唸らされました。
人の心は「挑む人の覚悟」で揺らぎ、そして思いの熱量で動きます。だからこそ、有権者は意気に感じ、野党第一党の地位を立憲に与えた訳です。
いまは子分が増えすぎてしまったからこそ、知に働き、情に棹さし、そして意地を通されてはいまいか。
玉木代表が結論を出したことによって、ボールは枝野代表のところに来ました。
果たして枝野さんはどう応じるか、初心を思い出せるか。私はそこに注目したいと思います。
もう一人、注目したいのは「最長老」小沢さんの動向
昨年の秋口ですが、現役最多の在職50年を迎えた小沢一郎議員に、ある意味願望を込めた記事をアゴラに寄稿し掲載いただきました。
その中で「政治家としての大仕事、あるいは集大成をどうなさるおつもりか」と投げかけた訳ですが、玉木代表が分党を決断された、それに対して小沢さんはどうされるだろうか。両党代表の動向以上に、私は氏の動きに注目しています。
小沢さんといえばこれまでの政治遍歴から「剛腕」「壊し屋」のイメージで語られることが多いですが、かつて旧・民主党の代表を退く際に、「これからは一兵卒として微力を尽くす」という言葉を残しています。
また自由党から国民民主党に合流した際にも「一兵卒として、やれることはやる」と宣言しています。
今回の野党再編で、果たして小沢さんは一兵卒としての矜持を示せるか。最後まで「壊し屋」であり続けるのか。それとも玉木代表を柱とする新・国民民主党の「定礎」となることができるのか。
玉木さん、枝野さん、そして小沢さん。今回の合流劇に際し、私は3人がそれぞれ示す覚悟と今後の行動に注目しています。