イタリア北部ロンバルディア州のベルガモ(Bergamo)市に住む親戚の子供が夏休みを利用して1週間ほどオーストリアのニーダーエステライヒ州にいる息子夫婦を訪ねてきた。10歳の男の子ダビデ君だ。来る時と帰りの迎えの時は母親が連れ添った。シングル・マザーの彼女は、息子に夏休みの楽しみを作ってあげたいと計画し、実妹が住むオーストリアの息子夫婦にお願いしたわけだ。大好きな息子夫婦に再会したダビデ君は大喜びだ。以前会った時はまだ暴れん坊の子供だったが、今回の写真を見れば、しっかりした少年に成長している。
息子夫婦は、来る前から子供の喜ぶプランを考えていたに違いない。息子が送ってきた写真を見れば、暑い日には広い屋外プールでじゅうぶん泳いで楽しみ、涼しいガーデンの夕食、3D体験ミュージアムで遊んだり、キャンプ場のロッジ風の所で宿泊したりと盛りだくさんのプランだったようだ。ダビデ君にとって、久しぶりの楽しい夏休みを過ごせたわけだ。昔のダビデ君のように大暴れしながら息子夫婦と楽しんだという。
時間はあっというまに過ぎる。母親がベルガモから迎えに来たが、ダビデ君は息子夫婦と別れるのが悲しくて泣き、ダビデのおばさんである息子の嫁も泣いたという。ベルガモでは新型コロナウイルスの感染防止のためにダビデ君は友達と遊ぶこともできず、祖父母宅でテレビを見たり、ゲームをしながら過ごしてきたのかもしれない。
中国武漢から発生した新型コロナウイルス(covid-19)は当初、欧州ではイタリアで大感染が発生し、同国北部のロンバルディア州のベルガモでは連日、感染者が出て、多くの死者が出た。今年3月19日、イタリアの新型コロナ感染者は4万1035人、死者は3450人となった。新型肺炎の発生地中国の3245人を上回り、死者数は世界で最多となったほどだ。イタリアの中でもベルガモは大変だった。この人口12万人の小都市の感染者数が増え、武漢のような大都市ではないが「イタリアの武漢」と呼ばれた。
同市の医療は崩壊し、重症者を収容するベッドはなく、南部州に患者を転送するなど、対応に苦しんだ。ベルガモ病院の医者が、「ベルガモを助けてほしい」と緊急メッセージをソーシャルネットワーク(SNS)で発信した。防護服が限られ、医療器材が不足して、重症患者を治療できない医者の苦しさを訴えていた。
死者を埋葬する墓地の場所もなくなり、軍隊が遺体を南部州に運ぶ一方、遺体をまとめて火葬せざるを得ない状況だった。ベルガモはローマ・カトリック教会の信者が多く、遺体は本来、埋葬することになっているが、その場所も時間もなくなってきたからだ。ベルガモにはローカル新聞があるが、新型肺炎で亡くなった市民の訃報欄が10頁にもなったほどだ。紙面には新型肺炎の犠牲者の写真が載せられ、それを読む市民の心を揺さぶった(「“欧州の武漢”ベルガモ市を救え!!」2020年3月21日参考)。
あれから5カ月が過ぎた。新型コロナは依然、感染を広めているが、イタリアでは感染ピークは過ぎたと受け取られ、規制緩和と経済活動の再開のバランスを取りながら復興に乗り出してきた。
ところで、ベルガモ市では救急車のサイレンを聞くと精神的に落ち着きを失い、パニック症状に陥る市民が少なくないという。そこで救急車はサイレンを鳴らさずに市内を走ることにした。サイレン音を聞くと今年3月の悪夢が蘇る市民の願いを受けた処置だ。死者を追悼する教会の鐘だけが響く。
感染して病院に運ばれた市民が家族から引き離され、病院で1人で亡くなるケースが多かった。一旦別れれば、ひょとしたら再会できないかもしれないという思いが市民にはあった。ダビデ君の涙はそのような思いがあったのかもしれない。ベルガモの多くの市民がそのようにして家族、親族と永遠の別れをしてきたのをダビデ君は見てきたのだろう。
イラク戦争やアフガニスタンから帰国した米軍兵士が帰国後、社会に再統合できず、大きな音を聞くと震え、どこかに身を隠そうとするといったパニック症状をおこすケースがある。心理学的には心的外傷後ストレス障害(PTSD)だ。新型コロナ感染でベルガモ市民も米軍兵士のように心に大きな痛みを受けたはずだ。
新型コロナの感染第2波が到来したといわれる。ベルガモ市民が明るい笑顔と笑い声を取り戻す日が早く到来することを願う。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2020年8月13日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。