政治家を「無能」という専門家、これではネットの誹謗中傷はなくならない

西村 健

「無能無気力」。SNSで、日本の総理に対して、著名な学者がこう発言した。

「無能だ、頭が悪い」という言葉を使う人は、実はすごく多い。ある本では、中国の主席に対して、ジャーナリストが記載している。

伝言であっても、それなりの地位にある人が「無能」というような侮蔑的な言葉を使うことを見ると、少し悲しくなる。人によっては「誹謗中傷」と感じることもあるだろう。

政治家の政策実行は、普通、政治家1人の能力には帰結しない。リーダーとして「有能さを発揮した」指示をしても、組織内部の利害や色々な制約によってリーダーの指示通り実行できず、「無能な」ように見えることもある。

質問に答えてください

写真AC:編集部

その発言者にこうした質問をしてみたい。

・政治的な価値観や利害で断罪していないですか?
・本当にそうなのでしょうか?行動・言動、相手の事情を見て判断しているのですか?
・伝聞をまさかそのまま真に受けて発言してませんか?
・無能さの根拠はなんでしょうか?

この質問に回答して欲しいし、それこそが言論人の責任でしょう。また、こういう言論人をテレビやメディアに出演させたり、コメントをとったりして、その高説を世の中にまき散らすのに協力してきたわけですから、メディアもどうかこうした先生に質問してもらいたいもの。

発言者からみて、比較して、「無能」なのかもしれないが、元来、無能なはずがない、人間、無能な人などいないからだ。人間はなにかしらの能力を持っている。基準と比較して高いか、低いか、である。そして、能力は多面的だ。

人事評価の面から見た「無能」

人事評価の専門家から言わせてもらえれば、人には色々な能力がある。人事評価ですら、あくまで会社のなかの、仕事の限定のなかでの能力評価要素ごとに、評点をつけるもの。そこでは、仕事に関係ないボランティア団体でのマネジメント能力は測定できない。

学歴は、ただ一部の学問のペーパーテストの結果。そこでは、相手によりそったコミュニケーション能力は測定できない。

人の能力は多様であり、「有能」「優秀」というのは一定の条件の下で、ある人が認識するなかでの「有能」「優秀」ということに過ぎない。優秀な営業が課長になって使えないなんて、よくあることだ。営業では使えなかった部下が課長として課の業績を上げ、最終的には社長になったなんて、よくあることだ。

ということを見ると「無能」という言葉が、いかに浮世離れしていることがわかる。政治家の能力を有能か無能か二択に分けることほど意味のないことはない。人間の能力は単純なものではないからだ。

無能発言する人のロジック

他人を「無能」という人を過去に数人知っているが、それはたいていオフの時での発言であった。皆、能力が相当に高いと自負している人であり、嫉妬なども含めて言っているように感じられることが多かった。他人を貶めることで、認められない自分のちっぽけなプライドを守っていたのだろうと感じられるときもあった。

他人に対して「無能」という発言は自分の価値を落としかねない。まわりの深読みする人からは、人の一部や自分の見たい情報しか見ていない、相手の事情に配慮が足りない、自分の意見に固執して客観性に欠ける人と評価されることになりかねない。

芸人のぺこぱではないが「もう、こういうことはやめましよう」。