バイデン氏は本当に優位なのか?

岡本 裕明

大統領選挙が近づいてきて両陣営とも動きが活発になってきました。バイデン候補は民主党大会で正式指名を貰いました。トランプ氏については岩盤支持層がある一方、嫌いな人は徹底的に嫌いで著名人も賛否好き勝手な発言をし、ある意味、典型的なアメリカらしさを醸し出しています。

(バイデン氏Facebookから:編集部)

(バイデン氏Facebookから:編集部)

私が19歳の時初めてアメリカに行く際、YES/NOをはっきり言うことが大事だと教え込まれました。日本では何か選択肢を貰ったら「どっちでもいい」という答えをすることが多かった中で好きか嫌いかはっきり答えよ、と迫られるわけです。ある意味、コンピューターの0と1の世界と同じで日本流のFuzzy(あいまい)という感性はよくないとされたわけです。

トランプ大統領は分断の社会を生んだとマスコミは掻き立てますが、そもそもYES/NOをはっきりさせるのがアメリカ流だったわけで今更分断でも何でもないわけです。欧米はそもそも資産家階級と労働者階級という明白な区別があり、白人至上主義もずっと昔からありました。

平和になった現在、私が40年前に経験したあのアメリカから今日に至るまでに変わったことはアメリカそのものの変質化(冷戦からパクスアメリカーナ、そして中国との敵対)、デモグラフィック(人口統計の属性)の変化、コンピューター化が進んだ現代における世代間の感受性、そして繁栄のアメリカ、反戦との戦い、ミレニアムといった時代背景が違う人たちの立ち位置ではないかと思います。

戦後直後、世界各国は復興と新しい社会の構築という点において国家と国民が共有できる目的意識があり、どの国も比較的自国中心の繁栄を目指す点でまとまってきたと思います。アメリカの場合も同様で世界の覇権が英国から移り、ドルの時代となったことで世界を牛耳ります。

が、必ずしもアメリカが絶対的王者であったかと言えば揺らぐ時も何度もありました。ソ連との冷戦時代は必ずしもアメリカが圧勝だったとは言い切れません。80年代前半、日本の勃興に対し、一時期ささやかれたのはアメリカのバトンは日本に渡されるかもしれない、というものでした。今、中国とバトルをしているのは覇権そのものです。アメリカはもうNO1でなくてもよいと認め、変質化をするのか、それとも今こそ、締め上げなくてはアメリカが英国のように没落すると焦るのか、その微妙な選択肢の中にあるとみています。

この6-70年の間にアメリカが経験したことはあまりにもドラスティックであり、国民の間で意識のシェアがしにくくなっています。60年代のベトナム反戦の時も国が割れましたが、今はそのような二分化ではなく、個々が自己利益の追求という点で多極化し、各々が駄々をこねているように見えるのです。

今はアメリカは一体化すべき時でしょう。中国とどう対峙していくか、明白な方向性を打ち出さねばなりません。民主党の弱点はあちらこちらの声を吸い上げ、バラマキ経済と「よい顔政治」で居心地はよさそうだけど方向性と長期的展望がなく、どこかで詰まるパターンであります。バイデン候補は調整型として知られ、良いところを拾い上げるブレンドコーヒーのような政治になるとみられています。

アメリカは明白な方向性を示し、世界経済のけん引役とならねばなりません。世界もそれを必要としています。

バイデン氏は増税を打ち出し、大企業の稼ぎを吸い上げ、リーダーシップよりも協調路線を打ち出します。バイデン氏のアメリカとなった瞬間、風船の空気が抜けたような腑抜け状態になり、アメリカは繁栄の足を止める可能性すらあるとみています。

大統領選はアメリカ人がこれからの5年をどうしたいのか、ビジョンを問われています。甘い汁はなぜ吸えたのか、アメリカ人のプライドはどう維持したいのか、これを煎じ詰めていくと消去法で選ぶ民主党のバイデン氏ではないと思っています。バイデン氏が優位という見方は選挙に向けて少しずつ様子が変わってくるかもしれません。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2020年8月20日の記事より転載させていただきました。