難産必至か、「ひとすじになれない」旧民主の合流劇
永田町は安倍首相の辞任でまた混迷となりそうですが、その前に政局で注目されたのは、国民民主党・玉木雄一郎代表が分党を決断したことにより、混迷の一途となった立憲民主党との再合流劇でした。
元々はともに民進党から枝分かれした旧民主党の系譜ですが、3年前の分裂劇は連合などの組合はじめ支持団体にも大きなしこりを残したこともあり、一筋縄ではいかないようです。
NHKのウェブマガジンでも「答えを出せない議員たち ~ 国民民主党、合流への渦中で」と題された特集が組まれるほどで、とりわけ国民民主に所属する議員は近日中に決断を迫られることになります。
「前門の虎、後門の狼」とは、恐らくこういう状態を云うのでしょう。
もっとも与党では今回の騒動を冷徹に見る向きも少なくありません。とりわけ、かつての所属議員ながら袂を分かった鷲尾英一郎議員などは「目先の選挙目的にすぎない」と一刀両断しています。
私自身にしても、一連の流れは「選挙を有利に勝ち抜けるため」、あるいは「国民民主の保有資金をめぐっての綱引き」ではないかと冷めた目で見てみます。その一方で今の与党、とりわけ自民党の所属議員によるIR疑惑や選挙資金のばらまき工作など猛省を求めたい面も否めません。
玉木さんの心意気には敬意を表しますが、もしも再結集を目指す新党が過去を真に反省し、再起を図ることができたなら。政敵の批判など無くても「理想の政治」を有権者に提示することに全力を注ぐなら(むしろそれが大事)、大きな塊への志向も斬って捨てるものではないでしょう。
そう思うと、分党の決断も合流への参加も、それぞれ割り切れないものがあります。
「無敗の男」ついに動く。その予兆は書籍にあった
そうした折、かつては「自民党のプリンス」と呼ばれ、小沢一郎議員とならんで将来を嘱望された中村喜四郎議員の新党参加意向が明らかになりました。
中村喜四郎氏が新党参加へ 元自民「政治改革進める」(日本経済新聞、8月25日)
中村議員といえば長らくメディアの前から遠ざかり、沈黙を守っていた「知る人ぞ知る」存在でした。
それが一昨年の新潟知事選で表舞台に出るようになり、また長年の選挙における連続当選から「選挙の鬼」あるいは「無敗の男」など、にわかに注目を集めるようになりました。
ネット選挙に造詣の深い私の知己などは、国民民主が分党した際に「中村議員を中心とした、選挙に強い政策シンクタンクを作ればよいのでは」と思い描いていたようです。どうやら当ては外れたみたいですが、実は今回の展開は昨年末に刊行された『無敗の男 中村喜四郎全告白』(常井健一著、文藝春秋)でも予言的なくだりがありました。
「私は小沢一郎を認めている。ただ、手法が合わなかった。30年前、もう少し私の意見を聞いて、二人で力を合わせたのならば、小沢一郎の将来も変わっただろうし、中村喜四郎の将来も変わった。何が原因なのかわからないけど、激しくぶつかり合ってしまったことが残念だった」
「今の野党の連中では、とても小沢さんのような大人のレベルの会話はできない。彼らが『俺たち主導でやる』となると、なかなか調整できず、自民党の思う壺になる。そういう時に小沢氏が『中村に選挙を仕切らせようじゃないか』と言い出して、野党のリーダーを説得できた時、私の働く場所を確保するようにできれば、かつて自民党で小沢幹事長-中村事務局長で衆院選をやって大勝した時の図式に戻れる。それに戻れたら、一気に小沢氏との距離は縮まりますよ。私は自民党を倒すためにこっちに来たので、そういう流れを小沢氏がサポートしたとなれば、わだかまりを持つ理由はない」(いずれも同書298頁)
生活の党や自由党などを経て国民民主党に合流し、一兵卒を自称し続けた小沢一郎議員。その動向が玉木代表の分党を支えるのか、それとも令和の大同団結を夢見るのかは私も大いに気になるところでした。結果として小沢議員は「大きな塊」に舵を切ったわけですが、そこに中村喜四郎議員が合流するのは、ある意味でいびつながらも自然な流れだったのかも知れません。
尾崎財団でも『無敗の男』には咢堂ブックオブザイヤーの選挙部門と演説部門の2部門で大賞を贈りましたが、図らずも預言の書となったようです。
注目せずにいられない理由。それは中村喜四郎が「内に秘めたもの」
小沢議員と中村議員はそれぞれ現役の衆議院議員での最多当選、1位と3位に名を連ねます(小沢氏17回、中村氏14回)。超ベテランの域に差し掛かる二人を「終わった」過去の人物と見るか、それともまだまだこれからの円熟を重ねる第一線と見るか。
掲げる政策理念の好き嫌いは別にして、私はこの二人の古強者、とりわけ古武士のような雰囲気を持つ中村喜四郎議員に対し、ある種の畏敬を隠しません。
これは中村議員のごく近しい方から伺ったのですが、コロナ禍が巻き起こる以前、中村議員は地元の後援会を国会見学に引率するたびに、憲政記念館での講演会も行っていました。
憲政記念館のエントランスでは尾崎行雄の銅像が来館者を迎えますが、あるとき銅像を前にこうつぶやいたそうです。
「おぉ、夢中でやっているうちに尾崎先生の記録に並んじゃったよなぁ。誰も気にしないだろうけど」
尾崎といえば衆議院の在職(63年)と当選(第1回から25回)の記録を持ちますが、国政選挙を無所属で戦い勝ち続けることは並大抵のことではありません。尾崎も憲政史においては記録で語られることも少なくありませんが、尾崎とて記録を残したいがために在職や当選を重ねた訳ではありませんでした。それだけに中村議員の言葉には、少なからず重いものを感じます。
果たして「無敗の男」中村喜四郎議員は、これからどんな活躍を見せてくれるのか。
野党再編の要となるか、はたまた現代の尾崎行雄となるか。ますます目が離せません。