これからという時に病を得て、一線を退くことがどれほど無念なことか、心中を察して余りある。言うまでもなく、先月28日に退陣表明した安倍晋三総理のことだ。「大事な時に病気になる癖」とツイートした野党議員がいたが、他人の不幸を使って目立とうとする売名行為は人間のクズがすること。
流れていた辞任の噂を、まさかと思っていたので、速報に接して体中の力が抜けてしまった。これで憲法改正も拉致問題の解決も叶わぬと落胆した。が、夕方の会見の様子を拝見し、かなり気を取り直すことができた。むしろ平生よりも安定した感じの語り口と声明の内容を聞けたからだ。
総理は先ず、コロナや熱中症対策での協力に対する国民や自治体への感謝を述べ、コロナについては「正体不明の敵」に対し、「国民の命を守る」ため「その時々の知見の中で最善の努力」をしてきたとし、そして残念ながら亡くなられた方々への冥福を祈り、全力を尽くしている医療関係者への礼を述べた。
「死亡者の過半が80代以上で、40代以下の致死率は0.1%以下」であるなど、「この半年で多くのことが判って」き、3密回避などの予防策で社会経済活動との両立が可能であり、また治療法も進歩したことから、「2類感染症以上の扱い」を含め、政令の改正などの今後の対策を決定したと述べた。
上記に括弧書きした通り、正体不明だったコロナのことがこの半年で大分判ってきたのは事実だ。だからこそその時々の知見での最善の努力が要る。以前書いたが、未知な事態では君子豹変する勇気が必要だ。前と違うじゃないか、などと非難されるのを恐れていては事態の悪化は防げまい。
辞任表明の前に決めたもう一つの大事なことは安全保障問題。これも国民の命を守る重要事項だ。即ち、現下の厳しい安全保障環境の下、迎撃能力の向上だけで国民の命と平和な暮らしを守れるかを国家安全保障会議で協議したので、与党協議に与党調整に入り、その具体化を進めるとした。
そして潰瘍性大腸炎が再発したことを述べた。病気と治療を抱え、体力が万全でない中で政治判断を誤ること、結果を出さないことがあってはならない、国民の皆さまの負託に自信を持って答えられる状態でなくなる以上、首相の地位にあり続けるべきではないと判断し、首相の職を辞すると述べた。
最後に7年8か月を振り返り、様々な課題に挑戦し、達成、実現できたのは、国政選挙のたびに力強い信任を与え、背中を押してくれた国民のお陰と礼を述べた。そして、任期途中で職を辞することを詫び、拉致問題、ロシアとの平和条約、憲法改正の三つが志半ばで職を去ることは断腸の思いとした。
考えの違う者は、阿保くさ、と思うかも知れぬ。が、筆者はこれらの一語一語に、そうか、そうだろうと納得し、そして頷いた。ニュースの画面は13年前の退陣会見の様子も伝えたが、そこには心身共に憔悴し切ったまだ若い安倍晋三がいた。が、今回は13年前にはない落ち着きと安定感が窺えた。
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安倍総理の病は「指定難病97」の潰瘍性大腸炎。国が難病に指定する「指定難病」は現在333種ある。斯く言う筆者も歴とした「指定難病306」の好酸球性慢性副鼻腔炎。大人の喘息の合併症で四半世紀の付き合いだ。鼻詰まりは相変わらずだが、幸い朝晩のステロイド吸入で喘息はunder control。
国の「難病法」が指定する難病の要件には、発症メカニズムが不明、治療方法が確立していない(対症療法や症状の進行を遅らせる治療方法はあるが根治療法はない)、寛解状態を得られることはあるが継続的な治療が必要、希少な疾病であって長期の療養を必要とする、などがある。
筆者も喘息に罹った当初数年は、1時間半の通勤が儘ならず、病院でステロイドの点滴をして出勤したこともあった。地方に転勤し職住接近の生活を3年ほどすると、少し体力を回復した。本社に戻り、薬を微粉末の吸入に変えたことが奏効、薬剤が上手く気管支に届いたのか、ゴルフが出来るまでになった。
筆者はその程度で済んだが、総理の潰瘍性大腸炎は、炎症が起き症状が強く現れる「活動期」は相当大変らしい。目下、18万人の患者がいて、9割は軽症~中等症だそうだが、薬が上手く合って「寛解期」を維持することができるようになれば、大役への再登板も可能ではあるまいか。
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一方、総理の辞意表明の翌日には吉報もあった。水泳の池江璃花子嬢が競技に復帰したのだ。一昨年の暮れに彼女が発症した白血病も極めて深刻な病気だ。しかも数々の日本新記録を持ち、世界に伍して競えるトップスイマーが、オリンピックの地元開催を翌年に控えてのことだ。
まさに、これからという時に病を得て一線を退くことの、言葉に表せないような辛さを1年半以上味わった末の復帰の報が、総理の退陣表明の翌日に入ったことで、筆者の暗い気持ちの大半が晴れた。一般人なら普通の体つきかも知れぬが、以前の逞しさから10キロも減ったというか細さだったけれど。
泳ぎ終わったプールサイドで、祝福する仲間を前に思わず涙で顔を覆う様子を、涙なしで見られる者がいるとすれば、それは安倍総理に「大事な時に病気になる癖」とツイートした野党議員くらいのものだろう。そう考えれば、この野党議員が如何に人間として最低であるか知れる。
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後継総理は菅官房長官でほぼ決まりのようだ。安倍政権を長年そばで支えてきた菅氏のこと、内政での齟齬はなかろう。が、外交はどうだろうか。時あたかも米中の激突で歴史の大変革が起きようとしている。加えて11月の米大統領選も結果次第では、少なからぬ日本への影響が生じよう。
総裁任期は3年、秋に新総裁・新総理が決まるなら23年秋までだ。安倍政権での憲法改正阻止を野党は唱えていたが、それまでに改正ができるだろうか。今や西側諸国のコンセンサスとなった中国共産党の封じ込めを米国と協調して主導できるだろうか。大統領が変われば日本の重みがさらに増す。
そして池江璃花子嬢、報道によれば50mでのストローク数も呼吸数も一昨年のレベルに戻っているそうだ。後は筋力を付けつつ体重を戻すことだろうか。来年の東京オリンピックに間に合うに越したことはないが、間に合わなくとも24年のパリ大会がある。
筆者は3年後、安倍晋三にまた総理をやって欲しいと考える一人だ。もちろん病気と相談づくだが、それまでに再登板の事態が出来しないとも限らない。一日も早い健康回復を願いたい。大病から復活し、再び第一線で活躍する姿ほど人を感動させるものはない。お二人にはそれを期待したい。