労働基準法は、労働時間の上限を1日8時間、1週間40時間と定めている。
時間外労働の条件や割増賃金も定めている。
このように労働時間を基準とする働き方は、戦後間もない1947年に制定された労働基準法の根幹となっている。
同法制定当時、ほとんどの労働者が第1次産業と第2次産業に従事していた。第3次産業の労働者はごく少数派で、いわゆるホワイトカラーの働き方は同法の想定外だった。
時代が推移してサラリーマンが増えてくると、植木等が「ドント節」で次のように歌った。
「サラリーマンは気楽な稼業と来たもんだ 二日酔いでも寝ぼけていても タイムレコーダーガチャンと押せば どうにか格好がつくものさ」(青島幸男 作詞)
「休まず 遅れず 働かず」でも何とかなるということだ(真偽は不明だが)。労働時間を基準とする働き方は、工場労働者や店舗での接客等、旧態依然たる働き方を前提としたもので、ホワイトカラーの働き方を前提としたものではない。
コロナ禍でテレワークに携わった人たちの中には、「業務時間って意味があるのか?」という疑問を抱いた人も少なからずいたはずだ。昔の著名な経済学者、ジョン・K・ガルブレイスは、「ホワイトカラーは家に帰っても仕事のことを考えている。24時間働いているようなものだ」と述べたそうだ。
ホワイトカラー労働者が多数派となった今、時間による働き方を根幹にしている労働基準法は時代遅れだ。労働基準法の労働時間等の制約を受けない「ホワイトカラーエグゼンプション」の導入が昨今検討されているが、年収1075万円以上という高年収などが条件になっている。
労働時間を基準とした働き方という労働基準法の根幹が変わる気配はない。
私は、従来の労働時間を基準とした働き方に加え、労働時間を基準としない働き方という新たな柱を労働基準法に取り入れるべきだと考えている。労働時間を基準とした働き方と、課題の達成を基準とした働き方の二本柱で構成された労働基準法の大改正が急務だ。
課題の達成を基準とした働き方の場合、人事評価も「与えられた課題を達成できたかどうか?」「どれだけの課題をこなしたか?」等々で決められる。「誰よりも早く出社して、誰よりも遅く退社する」というパフォーマンスは無意味となり、ダラダラ残業もなくなる。
先進7カ国中最下位の日本の労働生産性を上げるためにも、労働基準法の抜本的改正が必要だと考える。
編集部より:このブログは弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2020年9月3日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。