品格が大いに問われる、二人の「先生」による放言
先週突如発表された、安倍晋三総理の辞任表明。その賛否や評価をめぐっては各論ありますが、私自身も思わず悪態をつかずにいられなかったのが立憲民主党・石垣のりこ議員の心なきツイートでした。どんなに「やべっ!」と思って削除したとしても、発信はしっかり魚拓に残されています。
総理といえども「働く人」。健康を理由とした辞職は当然の権利。回復をお祈り致します。
が、「大事な時に体を壊す癖がある危機管理能力のない人物」を総理総裁に担ぎ続けてきた自民党の「選任責任」は厳しく問われるべきです。その責任を問い政治空白を生じさせないためにも早期の国会開会を求めます— 石垣のりこ (@norinotes) August 28, 2020
わが国の憲法は第19条で、すべての国民に「内心の自由」を保障しています。
だからこそツイートの主が政敵に何を思おうと、それは勝手です。
ただ、今回の発言がもたらしたものは、二重三重の意味で猛省を促すべきものであると言わざるを得ません。なぜ、そう思うのか。ひとつは、国会という機関が「言論の府」の別名をもつように、己の言葉に関しては人一倍慎重かつ厳粛であるべきというそもそも論。もうひとつは、その後の弁解が発言の主の性根を図らずも暴いてしまったことにあります。
今後は、表現をさらに洗練させることに努め、時代の空気に屈せず、また、権力に萎縮することなく、政治家として言うべきことは毅然と発言する姿勢を貫いてまいります。
— 石垣のりこ (@norinotes) August 31, 2020
いやいやいや、表現の洗練とか、そういう問題ではないのですが。一連の投稿に対し私の読解力が不足しているのを指し引いても、ここからは何も感じられない。むしろ、「ちっ、しょうがねえなあ」、そんな舌打ちにも聞こえてならないのです。
同様の波紋を呼んだ放言は、他にもありました。京都精華大学の講師・白井聡氏のフェイスブック投稿ですが、こちらも炎上の元となった発言は削除しつつ、その後の弁解は苦しいことこの上ない。
石垣議員に勝るとも劣らない開き直り。氏が心の中で何を思おうと勝手ですが、少なくとも所属大学のイメージを大きく損ねている点は間違いないでしょう。
果たして立憲民主党、そして京都精華大学がどう対応するのか注目したいところですが、反省だけなら猿にもできます。それにどんなペナルティを与えたとしても、この手の方々は性懲りもなく舌打ちをすることでしょう。
国会議員と大学講師、職業こそ違っても、ともに「先生」と呼ばれる立場です。また国公立と私学の違いはあっても、大学という教育機関は公的な組織です。それだけに、こういった手合いに付ける薬は無いと非難するだけでなく、何とかならぬものかと思いを巡らせたいのです。
「誓いを立てる場面の不在」が要因のひとつか
なぜ、こうした先生方の舌禍や放言(時には暴言)は止まらないのか。いくつかの要因が考えられますが、真っ先に思い浮かんだのは「職業倫理の支柱」、その不在です。
たとえば先生と呼ばれる職業の代表格である医師ならば、国家試験があります。単に試験のみならず、古代ギリシャの「ヒポクラテスの誓い」などにルーツを持つ宣誓を持つ大学も少なくありません。個人的にもご縁のある医師の先生は弘前大学のご出身ですが、その母校には次のような誓いが掲げられていました。
臨床実習生として医療の現場に参加するにあたり、
- 私は、人類への奉仕に自分の人生を捧げることを誓います。
- 私は、学び得た医学知識をもとに、良心と尊厳をもって医学の務めを果たします。
- 私は、生命の始まりから人命を最大限に尊重し続けます。また、人間性の法理に反して医学の知識を用いることはしません。
- 私は、患者の健康を私の第一の関心事とします。
- 私は、私への信頼のゆえに知り得た患者の秘密を、たとえその死後においても尊重します。
- 私は、私を教え導く人々に尊敬と感謝の念を捧げます。
- 私は、私の自由意思に基づき名誉にかけてこれらのことを厳粛に誓います。
一般科の大学では果たしてどうでしょう。学生に求めるのみならず、指導する立場である教官、教授や講師の立場の方々に対してはどうか。件の白井氏が勤務する京都精華大学には、残念ながら誓いに類する出典は見られませんでした。
もっとも必要なのは議会、とりわけ国会なのかも知れない
ならばわが国唯一の立法機関である国会はどうか。忘れられない出来事がふたつあります。
ひとつは10年前の2010年、当時私がネット関連で初陣を支えた宇都隆史・参議院議員。宇都議員は航空自衛官の出身ですが、当選後の初登院で大いに面食らったそうです。
「国会には、自衛官のような「服務の宣誓」が無いんです。これでは、国民の皆様に対して誓いの立てようがない」
会話の中でのやりとりゆえ出典はありませんが、そうした会話があったのを今でも思い出します。
同様のことは、宇都議員の後にもありました。
「ヒゲの隊長」として知られる佐藤正久・参議院議員も陸上自衛官の出身ゆえか、誓いを立てないことへの違和感は初当選以降もずっと持ち続けていたそうです。
そうした思いに水を差したのが3年前の2017年、第195回国会で提出された初鹿明博・衆議院議員の質問主意書でした。
詳細引用は割愛しますが、その結びには
「政府は、自衛官の服務の宣誓を引用して副大臣が職務の決意を述べることは不適切だと思わないのか見解を伺います。」
とありました。当時はおかしなことを質問する議員がいるものだという程度の認識しかありませんでしたが、やはり政治家という職責を預かる立場の人は、誓いを立ててしかるべきだと思うのです。服務の宣誓を行わなければ、議員バッジをつけることは許されない。それぐらいの気概があって欲しい。
最後に、当時の初鹿議員が問題視した自衛官の「服務の宣誓」に触れてみましょう。皆さんはどう感じるでしょうか。
私は、わが国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法及び法令を遵守し、一致団結、厳正な規律を保持し、常に徳操を養い、人格を尊重し、心身を鍛え、技能を磨き、政治的活動に関与せず、強い責任感をもつて専心職務の遂行にあたり、事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、もつて国民の負託にこたえることを誓います。(太字部分は筆者)
こうした誓いがあるからこそ、自衛隊の皆さんは時の政府が自民党であろうと民主党であろうと、国民のために汗を流してくれるのです。ならば、自衛隊を運用する立場にある国会議員の倫理的支柱は一体どこにあるのか。与野党を問わず、教えていただきたいものです。