核のごみ問題:知事と町長、どちらが「大義ある逆境への挑戦者」か?

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元原子力発電環境整備機構理事 河田東海夫

北海道寿都町が高レベル放射性廃棄物最終処分場選定の文献調査に応募したことを巡って、北海道の鈴木知事が4日、梶山経済産業大臣と会談し、「文献調査」は『高レベル放射性廃棄物は受け入れがたい』とする道の条例の制定の趣旨に反するものだ」との認識を伝えたことが報じられている。

北海道知事 鈴木直道氏と寿都町 片岡春雄氏 (北海道公式HP、寿都町公式HPから)

知事の言う道の条例とは、2000年10月に制定された条例で、あまり長くないので、文末に全文を紹介しておく(アンダーラインは筆者が付けた)。

これをお読みいただければすぐにわかることであるが、当時の道としては、「現時点では処分方法が十分確立していないので、…試験研究が必要」と認識していたために、条例で「こうした状況の下では、廃棄物は受け入れがたい」と宣言しているのであって、決して未来永劫受け入れを拒絶すると言っているわけではない。

条例ができてすでに20年間が経過し、この間幌延等での研究開発が進み、NUMOにおける安全評価も進んだ。条例の趣旨からすれば、道としては改めて「処分方法が確立したと言えるかどうか」の再検証を透明のある方法でおこない、その結果を踏まえて廃棄物受け入れに対する新たな姿勢表明をするというのが、民主的手続ではないか。

それをせずに頭ごなしに寿都町の試みを封じ込めてしまうのは、本来の民主主義の理念から外れている。

また、条例は「廃棄物の持ち込み」を受け入れ難いとしているのであって、廃棄物の持ち込みがない単なる調査まで拒絶しているわけでもない。

鈴木知事は、最年少市長として、持ち前のバイタリティと柔軟性で夕張市を活性化させ、財政再建団体からの脱却に道筋をつけた期待のニューリーダー。その功績が評価され、昨年の北海道知事選に勝利して今度は最年少の知事となった。

鈴木知事は、常々「私のモットーは、大儀ある逆境に挑戦すること」と語っていたが、新型コロナ対策では、その言葉通り、自ら陣頭指揮を執り、独自の手腕を発揮している。しかし今回はどうだ?

寿都町の片岡町長は、8月26日の北海道テレビ放送のインタビューで、文献調査応募検討については「東洋町のことも聞いているので、相当の反響は覚悟している」と答えつつ、「核のごみは日本で処理しないといけない」、「誰も手を挙げない無責任さに私は一石を投じる価値があると思う」と語っている。

この件に関する限り、「大義ある逆境への挑戦」をしているのは明らかに片岡町長であり、鈴木知事は条例の理不尽な解釈で片岡町長の挑戦を潰そうとしている。鈴木知事は、「大儀ある逆境の恐ろしさ」に耐え兼ね、専制的ポピュリストに変節してしまったのであろうか?

改めて、知事の冷静かつ理性的な対応を強く望みたい。

(参考)

平成121024日 条例第120

北海道は、豊かで優れた自然環境に恵まれた地域であり、この自然の恵みの下に、北国らしい生活を営み、個性ある文化を育んできた。

一方、発電用原子炉の運転に伴って生じた使用済燃料の再処理後に生ずる特定放射性廃棄物は、長期間にわたり人間環境から隔離する必要がある。現時点では、その処分方法の信頼性向上に積極的に取り組んでいるが、処分方法が十分確立されておらず、その試験研究の一層の推進が求められており、その処分方法の試験研究を進める必要がある

私たちは、健康で文化的な生活を営むため、現在と将来の世代が共有する限りある環境を、将来に引き継ぐ責務を有しており、こうした状況の下では、特定放射性廃棄物の持込みは慎重に対処すべきであり、受け入れ難いことを宣言する

附 則

この条例は、公布の日から施行する。