海外日系社会

Ben Welsh/flickr

海外、特に北米の日系社会が新しい時代に突入するタイミングにありそうです。果たして日本の文化、社会、あるいはビジネスが継承できるのか、難しいかじ取りを迫られています。

海外の日系社会の運営が難しい一つの理由はその地域、都市における狭い日本人、日系人社会に様々な分子がギュッと詰め込まれた状態にあるからです。例えば日本国内の地方の村を考えるとその村にいる方々は長年そこに暮らし、お互いを知り合い、考え方やビジネスも似たような人が多いでしょう。場所によっては皆同じ苗字というところもあり、極めて近い関係が作り出すまとまり感が存在します。

ところが海外の日系社会は北は北海道から南は沖縄まであらゆる場所からの出身者が一堂に会します。当然、出身地の癖、考え方、ふるまい、方言などいろいろ出てきますが、ある程度それを斟酌しておかないとぶつかり合う結果になります。当地で初めてお会いする方に「どちらのご出身ですか?」と聞くのはその違いのバイアス調整をするためでもありますが、人によっては〇〇の出身か、と初めから色眼鏡で見る方がいるのは悩ましいところです。

次になぜそこに住んでいるか、というステータスにより日系社会はある程度セグメンテーション化されます。例えば企業の駐在員は在任期間が4-6年ぐらいですから基本的にローカル社会には溶け込まず、目線は常に日本の本社でしかなく、お付き合いされるのも同様に日本に目線を向けている日本に本社のある企業さん同士ということになります。

面白いことに駐在員さんを派遣する企業のビジネスはリテール系を除きローカルの日系ビジネス組に売り込んだり紹介することはあまりなく、地元の日本人はどんな日本企業さんが進出しているかすら知らないのであります。

他に起業している人、国際結婚した人、永住権を取得し勤労している層、一般学生、就労ビザ付きの学生、日本人との接点を意図的に外す層、リタイア層、そして日系人と称するパスポートが日本のものではない方々であります。これらのセグメントが一緒になりながら活動や情報を共にするのは今の時代においても相当難しいのであります。

まだまだあります。年齢の壁であり、学生、現役層、リタイア層があります。更にビジネス層においても職種で大きな隔たりがあり、飲食をやっている人は飲食の人との付き合いが多いなどグルーピングが進みやすい傾向にあります。

なぜそうなってしまったか、その一つに海外では個性を出すことを求めらえるため、自己主張がどうしても強くなりがちで、集団が分裂しやすい傾向はあります。本人は悪気があるわけではないのに相手にはグサッと刺さってしまうことは年中起きており、私は「デリカシーがない」とよく言っています。日本語の表現力そのものが落ちているうえに相手を慮る、気を遣う、丸く収めるといったリテラシーと日本独特の社会習慣が薄まっているように感じます。

私が日系社会に危機感を持つ理由は若い層が日系社会という意識を持たなくなり、社会への溶け込み方と中高年層が持つそれと異質となり、社会継承のバトンが渡せない状態にあるのです。そのため、一部の日系社会のNPOなどの運営は日本語ができない日系3世や日本人の配偶者を持つローカルの方などが主体となり、日本人の社会が消え去ってしまった残念なケースすら散見できるのです。

これは社会への参加という点で非常に頭が痛い問題であります。私も他国出身者とのマルチカルチャーミーティングなどで「なぜ日本人、日系人の議員がいないのか」と話題になることがありますが、議員1人を押し込むことすらできないのが日系社会なのであります。

私はこの問題をずっと提起しているのですが、10年前と今では状況は悪化こそすれど何一つ解決していません。日系社会の平均年齢は移民権の取得のハードルが上がったことや日本人の海外移住のブームがあるわけでもなく、平均年齢が確実に上にスライドしており、日本より高齢化が進んでいるとみています。(そのような統計分析は少ないので感覚です。)

日系社会は世界各地にあるはずですが、どこも似たような問題を抱えています。今や日系の地元新聞すらなくなったのが現状です。世界に散らばる日本人永住者は約50万人、長期居住者が87万人以上いるとされます。これらの人々がもう少し結託し、日本ともリンクが出来たら日本のアセットになると思うのですが、なかなか難しいものを感じています。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2020年9月6日の記事より転載させていただきました。