中国武漢発の新型コロナウイルスが欧州で感染を広げていった今年2月末から3月にかけ、イタリアをはじめとして厳しい外出規制を実施する国が増えた。そのため、特に、感染危険年齢の高齢者や基礎疾患のある人を感染から守るために、家族や友人たちとの接触は制限されていった。5月に入り、感染ピークが過ぎたとして規制緩和する国が増えた。7月から8月の夏季休暇シーズンが過ぎ、旅行帰りの国民が新型コロナウイルスを持ち帰ってきたこともあって、ドイツやオーストリアでは感染者が再び増えてきている。
オーストリアでは新型コロナ・ランプを創設し、どの地域が感染が多いかを赤、オレンジ、黄色、緑の色分けで国民に伝える一方、7日から学期が始まった学校ではマスク着用などの規制を再導入している。首都ウィーン市(特別州)は「黄色」ということで、学校ばかりか、スーパー、レストランでもマスクの着用が求められる、といった具合だ。
ところで、新型コロナ感染を防止するという意味から、人と人の対面接触、濃厚接触を避けることもあって、1人で部屋で1日中、生活する高齢者が増えてきた。その結果、精神的にも孤独を感じ、落ち込むといった状況が生まれてきた。
オーストリアのクルツ首相は先日、記者会見で「わが国も1日、誰とも接触しない孤独な国民が150万人いると推定される。彼らへの支援が緊急に求められる」と述べていた。同首相は医療関係者ばかりか、社会学者、精神分析学者とも電話で問い合わせて、孤独者対策に乗り出していることを明らかにしていた。
オーストリアのメディアで「孤独死」(Kodokushi)という日本語が紹介されていた。独語訳では“einsames sterben”“einsamer Tod”。日本では1980年代に入って、社会で孤立し、1人で亡くなる人が増えたことから、「孤独死」という概念が生まれてきたと説明していた。
欧州では、英国で2018年、新しい「孤独対策省」が創設されたことでメディアで話題になったことがある。テリーザ・メイ首相(当時)はその理由を「悲しむべき現実へのイノベーション(新しい切り口)だ」と説明していた。同首相は、「赤十字の調査によると、6600万人の英国国民のうち、900万人の国民が孤独で苦しんでいる」というのだ。
欧州の経済大国・ドイツでも同年、「キリスト教民主・社会同盟」(CDU/CSU)と「社会民主党」(SPD)の連立政権が発足した時、連合協定(Koalitionsvertrag)の中で「国民の孤独」について言及し、「家族の絆を強化し、社会で様々なネットワークを構築し、国民の幸せを伸長させ、孤独感を防止する社会、民主主義国を促進していくことが大切だ。社会の個人主義化、デジタル社会が進む現在、孤独対策のコンセプト構築が急務だ」という趣旨を明記している。
オランダでも政府と王室が一体となって、国民の孤独問題の対策に乗り出している。メディアによると「孤独対策への協定」と呼ばれている。ウィレム・アレクサンダー王は、「75歳以上の国民の半数以上が孤独であるという状況をこれ以上甘受できない」と述べている。
以上、英国、ドイツ、そしてオランダの孤独対策は2018年の時であり、新型コロナ感染問題と孤独問題の対策とは言えないが、欧州の政治家や指導者は孤独問題が大きな社会問題であると認識しているわけだ。多分、新型コロナ感染で社会的接触が途絶えたことから孤独問題は一層深刻化していると受け取って間違いがないだろう。
高齢者ハイムでは息子、娘、孫たちと会えない老人たちが携帯電話でコンタクトしている姿がテレビ番組で報じられていた。規制緩和後は、ガラス越しで老人たちが家族と再会することが出来るようになったが、コロナ前のようにはいかない。
孤独は人の魂を蝕むものだ。孤独から自殺に追い込まれるケースも出てくる。自殺対策、孤独対策のため多くの資金を投入したとしても一朝一夕で問題が解決できるものではない。やはり、家族の絆が大切であり、社会に温かみを回復しない限り、難しい問題だ。
そこまで書いてきて思い出した。自殺者数が日本では減少傾向にあるというニュースを読んだ。「アゴラ言論プラットフォーム」で「安倍政権の任期の期間、自殺者の数が減少した。これは大きな成果だ」という趣旨のコラムだった。
そこで早速、警察庁の自殺統計をみると、平成15年(2003年)、年間3万4427人だった。それをピークに以降下降傾向が続き、2019年は2万0169人で前年比で3・2%減で、昨年まで10年連続減少を記録した。2003年比で1万4258人減少したことになる。その統計を見る限り、日本では自殺対策で成果が上がっていると言える。この期間7年8カ月の長期政権だった安倍晋三政権の誇ることが出来る実績、という評価は正しい。
人は一人では生きていけない。人間は関係存在だからだ。新型コロナ問題はその関係存在としての人間の在り方を変えようとしている。家族、会社・社会での人間関係から、環境、自然、万物世界との関係まで、再考すべき時を迎えているわけだ。「孤独死」という言葉が死語となるような世界を築いていくために、この激動の時に感謝し、時代が提示する挑戦を受け入れ、乗り越えていきたいものだ。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2020年9月10日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。