逃げるサンマ、獲れるカツオ 温暖化が変える社会

岡本 裕明

アメリカのデスバレーで今年8月に54.4度を記録、世界最高気温ではないかと騒がれました。その後、アメリカ全体として今までで4番目に暑い夏だったと発表されています。54.4度となると「暑い」ではなく「熱い」と表現したくなるような状態です。

(写真AC:編集部)

(写真AC:編集部)

2020年のサンマの漁獲量が不漁だった昨年をさらに下回る状況で魚売り場には一尾800円なる値札もついているところがあります。あの有名な目黒のサンマ祭りは当初9月20日に開催予定でしたがコロナの影響でそもそも開催が中止になっていました。主催者はむしろ中止になってほっと胸をなでおろしているのではないでしょうか?

一方、カツオが豊漁になっています。海水が1度ほど高いことなどで相模湾あたりでは入れ食い状態になっていると報じられています。

気候変動が地球規模で確実に起きていることは今や疑いの余地がないのですが、私にはその変化のスピードが加速してきているように感じるのです。例えば暑い夏はエアコンをつけっぱなしにしないと命に関わるといわれますが、そのエアコンからは地球温室効果を促進するフロンが発生します。都市はどんどん開発が進み、コンクリートや舗装されたエリアが増えることで都市熱が生まれます。一方、コロナで公共交通機関に乗りたくないという人たちの車の使用率が高まり、コロナ前の交通渋滞が既に日常的に戻ってきています。

地球温暖化を防ぐため、EUは温暖化ガスを2030年に1990年比で55%の削減目標と当初の目標の40%から引き上げました。切実な問題ではありますが、我々の生活、そして経済の基盤と裏腹の関係にあることからこのような長期の目標しか設定できないのが現状であります。将来はCCSと称される新技術で二酸化炭素を地底の奥底に押し込めるなどの対策ができるようになるのかもしれませんが、少なくとも目先の話ではありません。

地球温暖化の敵と言えば自動車ですが、世界には一定の規制基準があります。日本は「CAFE」、カリフォルニアは「ZEV」、中国は「NEV」といった名称で様々な厳しい基準を策定し、確かにその地域を走る自動車だけ見れば確実に改善する方向にはありますが、片手落ちのような気がします。

例えば日本やアメリカの中古車は東南アジア、南アメリカ、中東、アフリカなどで「第二の人生」を送っているわけですが、それらのまき散らす排気ガスはコントロールされていません。例えばインドやバングラディッシュ、パキスタン、インドネシアといった国では鉄道網が発達していないので自動車が市民の足となるため、極端な渋滞が発生しています。そしてこれらの国は環境規制などは優先度が必ずしも高くないのです。

東京の街並みを見ているとカナダに住む私からすればコンクリートジャングル以外の何物でもありません。そして次々に建物が建ちますが、開発業者に温暖化対策の義務を課した役所はほとんどないのではないかと思います。例えば東京常盤橋に計画される日本一の高層ビル「トーチタワー」の敷地にどれだけの緑地計画があるでしょうか?雀の涙ほどの様です。64階建の建物に出入りする想定人口に対する一人当たりの緑地面積を義務化すべきでしょう。

方法はいくらでもあります。例えば敷地内に必要緑地を確保できない場合、デベロッパーは東京都に不足分のお金を払い、東京都はその資金で土地を買収し、緑化整備費用に充てるのです。こんな手法は世界では当たり前です。

カナダでは建物の屋上緑化をはじめ、公共公園の提供など厳しいバランスがあって都市計画が進んでいきます。そのあたりは小池さんを中心とする東京都の都市計画の根幹が国際スタンダードと比して社会の変化に対応していないとも言えます。

北米西海岸で大規模な火災が発生しました。暑かったことも原因の一つとされますが、問題は森林が燃えると何十年も待たないとその森林は戻ってこない点です。私が温暖化は加速すると主張するのは計算上の温室効果ガスは今の現状が続く場合の話であって、暑くて森林が燃える、エアコンは命の綱、コロナで自動車はマストのアイテムといった付随の変化の計算が反映されていない点です。

「逃げるサンマ、獲れるカツオ」とは結局、温暖化対策をしながらも我々は環境変化に機敏に対応し、何が求められるのか、もっと柔軟にならねばならないことなのでしょう。サンマは庶民の食卓の代名詞だったというならニシンはとうの昔に消えています。我々を取り巻く社会は確実にそしてスピードを上げて変わっているし、我々も認識をどんどん変えなくてはいけないのだと感じます。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2020年9月18日の記事より転載させていただきました。