Facebookのアバターがダサい

常見 陽平

みんながFacebookアバターに走るので、私、自撮り写真を独占させて頂く。

ジャイアント馬場さん風にそう叫んでみたりする。

Facebookのアバターがダサい。つくって投稿する奴、それに対してコメントしてキャッキャする奴がダサい。いつの間にか、システムに取り込まれている。Facebook離れを防ぐための手段にまんまと踊らされてる。

使う側の気持ちはわからなくはない。たしかに、うまくやるとそっくりになる。素人がとる写真よりもかっこよく仕上がることもある。自分の顔写真を投稿することに抵抗がある人もいることだろう。みんながやっているから、自分もやりたくなった人もいることだろう。

しかし、まんまとシステムに取り込まれてしまっている。アバターよりも、素の自分の方が素敵なのに。心を解放してほしい。

私は、硬派で肉体派の左翼知識人として地道に活動してきたが、自撮り写真の投稿だけはサボらなかった。やけどしそうなくらいに熱く、ナイフのように鋭い私の主張、リリックを少しでも中和してくれるからだ。いや、あたかも政治家たちが「好物はパンケーキ」「東大ボクシング部」「カラオケでは矢沢永吉が十八番」など、人間臭さをアピールするのと重なり、しゃくなのだけど。メールの署名のようなもので、自分が書いたことを証明するためでもある。「お前は顔だけだ」と46年間言われ続けたので、負けを認める行為とも言えるのだが。とはいえ、使える武器は全部使ってしまった方がいい。

Facebookアバターをつくっている暇があったら、その素晴らしい自分を見てもらう勇気を持とう。日本と世界の未来のことを考える時間をつくろう。プラットフォーマーに取り込まれてはなるものかと、荒ぶる気持ちを戦闘的に高揚させたのだった。


編集部より:この記事は千葉商科大学准教授、常見陽平氏のブログ「陽平ドットコム~試みの水平線~」2020年9月18日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。