「李登輝の独自路線などない。蒋経国が敷いた路線をそのまま引き継ぎますよ、との姿勢を見せるためだった」
外省人の警戒と嫉妬の渦の中で権力を継承するため、総統就任後の李登輝は慎重だった。蒋の遺体が安置された台北市内の忠烈祠(ちゅうれつし)に毎日頭を下げに出かける姿を意図的に国民に見せることで、自身への無用な反発を避けようと努力した李登輝の姿は、権力闘争の本質を見事なまでに炙り出す。
反発を承知の上で、李登輝は「私は蒋経国学校の卒業生だ」と公言する。敗戦で日本人が去った後の国民党政権下で発生した大弾圧2・28事件は、未だに年配の台湾人を中心に大きな心の傷として残っている。それでも自分を引き上げてくれた蒋経国への敬慕の念を隠さない李登輝の立ち居振る舞いは、政治家李登輝の極めて鋭敏な政治的嗅覚の賜物といってよいだろう。なぜなら蒋経国への個人的な想いの本質が何であれ、そのように振る舞うことが政敵に囲まれた中で生き残る高度な政治的戦略でもあったからだ。
李登輝という指導者の本質は、外省人主体の独裁政権を絶対的な少数派でかつ元日本人の内省人が引き継いだ。同時に台湾を民主化へと導きつつ、膨張する対岸の中国共産党にも対峙した世界史レベルの大政治家なのである。
中華人民共和国が急速に軍拡を進める1990年代に超大国アメリカを自陣につなぎ止め、かつ自身のルーツを活用して世界第2位の経済大国日本とも緊密に連携することは、李登輝個人の志向を越えた台湾の地政学的必然であった。
また、ソ連の崩壊は民主化の嵐を旧東側陣営に引き起こす。国際情勢の変化が国民党一党支配を揺るがしかねない中で、蒋経国の威光を背に総統として巧みに自らの権力基盤を固めていく李登輝は、老獪でしたたかな政治家でもある。
堅固な政権の継承が宿命づけられているのは、自民党総裁選の座を争い勝利が確実視されている菅義偉官房長官も同様だ。本格政権へと脱皮出来るのか、それとも短命の中継ぎ政権に終わるのか。
李登輝の巧みな政界遊泳術は、主要派閥の危うい均衡の上に担がれた菅氏にも多くの教訓を示しているのではないだろうか。
—
小林 武史 国会議員秘書。カイロ・アメリカン大学国際関係論修士過程修了。