「100パーセントやる。できるかできないかではなく、やるかやらないかの話だ…(中略)…1割程度では改革にならない。海外では健全な競争原理を導入し、7割ほど下げた国もある。」
9月18日、菅首相との会談後に記者団にこう話した武田総務大臣の言葉に、政権の改革に向けた強い意志を感じた人は少なくないはずだ。携帯電話料金引き下げ、規制改革、不妊治療への公的支援拡充、デジタル庁創設と、矢継ぎ早に担当大臣に指示を飛ばす菅総理のスピード感に、改革への期待感がいやがおうにも高まる。
一方、「秋田から上京してきた苦労人」、「たたき上げの政治家」。菅首相を紹介する記事は一面的で分析が不十分だ。
「私はブレない」をキャッチフレーズとしてきた菅首相。自民党総裁選で訴えたことの多くは、当時から述べてきたことと重なる。例えば「自助、共助、公助」は総裁選中に何度となく耳にした。自立心と助け合いの精神を日本社会の特徴として上げ、自助共助を飛び越し公助に偏重する民主党政権を批判している。自立心が薄れれば、国民の国への依存心が肥大化していくと警鐘を鳴らすのだ。これを評者が言い換えれば、かの有名な福沢諭吉による「一身独立して一国独立す」である。「自助、共助、公助」は、菅首相の国家観を端的に示している。「縦割りの弊害」、「国民にとっての当たり前」も同様で、政治姿勢は一貫している。
菅首相のもう一つの顔は、官僚の人事権を行使する冷徹で強面な一面であろう。総務大臣としてNHK改革に尽力した箇所では、「改革を実行するためには、更迭も辞さない」と述べ、物事を前に進めるために人事に介入することは必要であるとの立場を明確にする。政官財界に張り巡らされた人脈を駆使して情報を集め、権力闘争を優位に進めるくだりは迫力満点だ。
しかし、この手の批判には、若手の登用やノンキャリアの抜擢人事に言及はない。評者は、かつて菅氏の政策秘書を務め、不本意な形で事務所を去らざるを得なかった人物から「菅さんは義理と人情の人」であると聞いたことがある。辞めた経緯を聞いたときには、菅首相に悪い感情をもっているのかと思ったものだ。しかし、野党議員の秘書を務めている同氏に対して、今でも永田町ですれ違うと肩を叩きながら近況を確かめ、励ましの言葉をかけてくれるという。
菅首相に欠けている点があるとすれば、国民とのコミュニケーション力であろう。あまりにも実務的で、声の抑揚なく無表情な菅首相の会見スタイルは、コロナ禍において世界の指導者たちの国民に寄り添う丁寧な意思疎通とは真逆に映る。この側面は今後政権運営で困難な局面に陥ったときのアキレス腱にもなりかねず、政権全体で補っていくことが求められる。
最後に、本書で東日本大震災時の民主党政権への対応を批判する菅首相だが、コロナ禍における安倍政権の対応にも、その中枢にいた者として決して満足はしていないはずだ。
「こうした大災害、非常時には、一人の指揮官の下に組織を一本化し、権限を全て指揮官に集中させることです。その際には、災害以外にも数多くの重責を有する総理大臣が指揮官となるよりも、やはり直ちに特命大臣を設置するべきです。」
このように述べた菅首相は、デジタル庁創設には平井大臣を、そして規制改革には河野大臣を指揮官に任命した。自民党総裁に選ばれた直後に発した「私の取り柄は仕事です」との決意表明は、超実務型内閣の性格を端的に示す。いわゆる財務大臣、外務大臣、経産大臣といった重量級閣僚以上に、菅政権の命運を握るのは、看板政策を担う特命大臣たちではないだろうか。そしてこれら大改革は、総裁任期残り1年間で道筋をつけられる類いのものではない。周りが何を言おうと、菅首相本人は「中継ぎ首相」で終わる気がないと、評者は断言する。
なお、文芸春秋社は本書を新書として10月19日に出版すると発表。菅政権研究の一助になることは間違いなしだ。
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小林 武史 国会議員秘書。カイロ・アメリカン大学国際関係論修士過程修了。2005年法大卒(剛柔流空手道部第42代で、第10代菅義偉氏の後輩)。