大学教育と生涯学習

多くの大学卒の人に大学時代何をしていたか、と問えばクラブや同窓会活動にアルバイトと答えるかもしれません。必死に授業で勉強したとか、図書館にこもって独学したという人は極めて少ないでしょう。

(写真AC:編集部)

私の大学時代、階段教室では階段の下の方、つまり、先生に近い方に座る人はいつも同じメンバーだけれどまばら。そしてクラスが始まる頃は階段の上の方が先に埋まり始めるというシーンはおなじみでした。代返は当たり前、試験近くになると階段の前の方に座っている人がヒーロー、ヒロインになり、彼らのノートのコピーが一斉に回覧された話に思わず、「あぁ、そうそう」とうなずく方もいらっしゃるでしょう。

なぜ、日本の大学生は勉強しないのか、いくつか切り口があると思います。私が思う最大の理由は勉強するモチベーションがないのだろうと思います。良い成績をとっても就職活動での影響がどれぐらいあるかといえば疑問符が付きます。その一つは3年生の時から就職活動をしている点で、これでは2年生までの成績しか見えず、しかもそれは教養の部分が主体で専門が増える3-4年がほとんど反映されていないのです。

大学そのものも教育というより経営に近く、いかにして有名になり、受験生を増やし、偏差値を引きあげ、売名できるか、にかかっています。立派な校舎を作り、付属施設も派手にするのは高層マンションでアメニティを充実させるという見栄えのトリックと同じであります。また、大学教育の経験や知識が就職後に生かされることもほとんどありません。私は経済学部ですが経済理論がゼネコンで有用になったことは一度もありません。ましてや文学部になればなお更でしょう。

私がカナダに来たとき、一つの驚きがありました。コミュニティセンター(公民館)で様々な成人向けクラスが年中開かれていたのです。確か、春と秋に分厚い印刷物が各戸に配布され、様々なコミュニティセンターで開講されるクラスの詳細情報が掲げてありました。またそのクラスがとても安かった記憶があります。確か、日本円で数千円で10回程度のコースが取れたはずです。もちろん、今でも存在します。

私の知り合いが40歳になってこの9月からカレッジに通い始めました。通うといってもオンラインですが、キャリアを作り、第二の人生を築くために2年間勉強することにしたのです。こちらのカレッジ、大学は宿題が多く、その方も夜遅くまでそれに取り組んでいるようです。もう一人、UBC(ブリティッシュコロンビア大学=東大よりやや上位にランク)に通う別の知り合いと近々会う予定があるのですが、「来週中に会えなければ試験期間に突入するからしばらく無理」と言われました。「いつ終わるの」と聞けば「10月末」と。長いです。その間、缶詰で必死に勉強するわけです。

日本の大学卒の人は企業に勤め、かつてはそこで社会人人生を全うしたのですが、今の時代、転職が当たり前となりました。その時、「あなたは何ができるのか」と問われたとき、スペシャルなスキルがないとどう売り込むのでしょうか?そのためには大学が卒業生向けのプログラムをもっと充実したらよいと思うのです。

大学経営が少子化で厳しいとされます。それは大学経営が新入生だけを受験対象と考えているからではないでしょうか?発想を変え、卒業生、そしてすべての大人を対象に生涯学習を取り込んだらどうでしょうか?特にオンライン学習は忙しい社会人にこれほどマッチするプログラムはないのです。

生涯学習の一部にリカレント教育というものがあります。これは「主に学校教育を終えた後の社会人が大学等の教育機関を利用した教育のことを指す」(ウィキ)とあります。このリカレント教育が日本は先進国では圧倒的に低いと日経が報じています。再教育が就職のニーズを満たしているかを指標化したもので比べるとOECDで日本は最下位、先進国で比べるとダントツの低さであります。

私の知り合いの某省庁にお勤めの方が日本で大学院に通っています。彼は50歳になる頃ですが、60歳で定年になった後の自分を考え、ビジネスに疎かった反省を踏まえ、将来事業を起こすため、必死に勉強しているのです。私にLINEで質問が時々来ますが、丁寧に返事をしています。

彼の最近の質問はある意味、日本らしさを感じました。某地方の高級タオルを海外に輸出するというシナリオを完成させるというわけです。私は思わず「タオル?」と聞き返しました。しかし、日本の感覚では高級タオル=5つ星ホテルや高級ヘアサロンなどでの需要があると考えるのです。私は「違う」と断言しました。「高級の定義がない」「そのタオルを使うメリットが示されなければ売れない」とはっきり申し上げ、感謝されました。

日本はお国自慢的な商品が多いのですが、それがそのまま海外で売れることはまずないのです。その好例がお国自慢のビーフ。「〇〇牛」はほぼ各県にあるのだと思いますが一つも水平展開できない代物なんです。高級だけど差別化できない典型だと思うのです。実はコメもそう。品種登録が900種、食卓向けが300種あるのはブランドとは言いません。JAが作り出した無法地帯と言います。こういうことに気がつくには案外、学術的に再勉強するしかないのです。少なくとも日本にはその層が薄すぎると思います。

日本を再興させるには何が必要か、と問えば教育と答える方は多いと思います。その教育において最高学府とされる大学が機能してこなかったことを今まで正面切って議論してこなかったことは残念なことです。

4連休にコロナ禍の人ごみに行くより自分を磨き上げるというのもアリだったのではないか、と思った次第です。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2020年9月27日の記事より転載させていただきました。

会社経営者
ブルーツリーマネージメント社 社長 
カナダで不動産ビジネスをして25年、不動産や起業実務を踏まえた上で世界の中の日本を考え、書き綴っています。ブログは365日切れ目なく経済、マネー、社会、政治など様々なトピックをズバッと斬っています。分かりやすいブログを目指しています。