竹内結子さんのこと

常見 陽平

2001年から1年間だけ、『とらばーゆ』編集部にいた。女性の社会進出を応援する雑誌とは名ばかりで。その実態に閉口した1年だった。当時、クライアントの派遣会社には凄まじい広告費を払って頂いており。紙面では「派遣で発見、私らしい生き方」など派遣で働くことを煽る記事が跋扈していた。同期女性は女性上司から「接待の日にスカートでくる君、わかっている」などと褒められるのを隣で見るの巻。人生で最も仕事が楽しくない時期の一つだった。

その頃、『とらばーゆ』の表紙だったのが、竹内結子さんだ。ルッキズムと批判されるかもしれないが、これだけは言わせてほしい。あの頃の竹内結子さんは輝いていた。びっくりするくらい美しかった。とらばーゆ編集部は人生において最悪の職場の一つだったけれど、いや、そういう心理だったこともあってか、とらばーゆの表紙の竹内結子さんは一つの希望だった。

2015年の東京国際映画祭にて(Johnson/flickr)

突然の訃報に驚いている。享年40歳。そうか、私の少し下なのか、ということを今になって知る。当時は20歳くらいだったのか。人生、様々なことがあったようだけど、訃報で見た彼女はやっぱり美しかった。合掌。

例によって、芸能人が亡くなったときには、追悼コメントと一緒に心無いコメントも多数でる。「芸能界の闇」「産後うつ」というツイートも散見された。まだ詳細はわからないし、(詳細は書かないが)亡くなり方も含めて考えなくてはならず。

くれぐれも言うが、芸能界のコンプライアンス問題や、産後うつ問題については私も強い問題意識をもっている。しかし、いま、何もわからない状態で(亡くなり方も含めると、あまり深堀りするべきでもない状態で)彼女の死を安易に結びつけるのはやめよう。芸能界の闇だと、産後うつだと断定できない状態で彼女の死を結びつけた人を、私は軽蔑する。

竹内結子さん、おやすみなさい。

合掌。


編集部より:この記事は千葉商科大学准教授、常見陽平氏のブログ「陽平ドットコム~試みの水平線~」2020年9月27日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。

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