顧問・麗澤大学特別教授 古森義久
インドが、中国のインド洋での軍事脅威の増大に対抗して、海軍力の本格的な強化を開始した。インド独自の海軍力の増強に加えて、米国やオーストラリアとの軍事協力を推進し始めた。インドのこの海洋戦力強化策には日本との防衛協力の計画も含まれているという。
インドの海軍戦力の新強化と新戦略の象徴は2020年7月のアメリカ海軍との合同演習だと言えよう。インド洋のベンガル湾南部に位置するアンダマン諸島、ニコバル諸島の近海でインド海軍の諸艦艇はアメリカ海軍の空母ニミッツ中心の機動部隊と演習を実施した。
この演習はいくつかの重要な意味があった。まず、第一にはその海域の重要性である。アンダマン・ニコバル諸島の近海はベンガル湾内でも特に戦略的比重の高いマラッカ海峡への航路上に位置する。第二次世界大戦の当時から枢要の戦略的海域とされてきたのだ。
第二には、インド海軍がアメリカ海軍、しかも新設のインド太平洋軍の指揮下の太平洋艦隊の主力空母と合同訓練をするというのはインド、アメリカの新たで大規模な軍事協力を明示していた。
そして第三には、このインド・米軍の協力が明らかに中国の軍事脅威への抑止の意味を持っていたことである。空母ニミッツはインド海軍とのこの演習の直前に南シナ海で中国のスプラットレー諸島への軍事進出を牽制する作戦を展開していた。その延長としてインド海軍と演習することは中国軍に対する米印両軍の一体化の示威の意図が込められていた。
インドと言えば、従来、どの国とも同盟関係を結ばない非同盟運動の旗手として知られてきた。しかも東西冷戦中はソ連との協力関係に傾き、アメリカとの関係が冷却した時期も長かった。そのインドが今やアメリカとの軍事的な絆を国際的に顕示するようになったのだ。
この点について、インドのモディ政権のスブラマニヤム・ジャイシャンカル外相がアメリカの大手紙ウォールストリート・ジャーナルのこの9月下旬のインタビューに答えて語っていた。
「インドは本来、海洋国家だが、過去においてインド洋の軍事戦略的、地政学的な意義をやや軽視してきた傾向がある。だがその傾向は近年のインド洋を巡る軍事、非軍事の新たな動きのために変わってきた。その面でのアメリカとの協力は新潮流だ。インドにとってアメリカは長年、政治、軍事の距離をおき、むしろ脅威に近い存在だった時代もあったが、今ではインド洋での安全保障上の貴重なパートナーとなった。インドとアメリカはインド洋を巡って共通の懸念を分かち合うようになったのだ」
ジャイシャンカル外相がここで語る「懸念」とは疑いなく中国への懸念を意味していた。より具体的には中国の海洋上の軍事的な拡張である。
インドにとって中国は長年の軍事脅威だった。インド、中国の国境、カシミール地域などで過去に実際の軍事衝突を繰り返してきた。だがその軍事面での対立や衝突は地上に限られていた。海洋での中国とインドとの対立はほとんど戦略面での論議を生まなかった。
ところが、ここにきてインド側が海洋での中国の脅威を意識して、対応策を積極的に採るようになったのだ。その最大の理由は中国の海軍の増強、特にインド洋への活動の拡張である。だがその背後にはさらに大きな要因がある。まず新型コロナウイルスでのインドの大被害による中国への敵対的な国民感情の増大、そしてそれに反発する中国がインドとの国境で軍事侵入を始めたことだった。だからインドでは官民が共に中国への反発や抗議を露骨に表すようになったのだ。
インドは2021年度の国防費を前年度より9%以上増加して、669億ドルにまで引き上げた。この金額は世界各国の国防支出のなかでも第4位である。アメリカ、ロシア、中国に次ぐわけだ。インド政府はこの国防費のうち海洋戦力の増強への比重を増し、2隻目の国産の航空母艦や潜水艦、各種の海上戦闘艦の建造を急いでいる。その海洋戦力の強化の意味についてインド海軍の最高司令官を務めたアルン・プラカシュ提督が米紙に次のように語っていた。
「中国軍の全体的な戦力増強に対して、インドがいくら抑止に力を入れても地上での対立ではせいぜい現状維持、互いに均衡状態を保つことがベストの結果になる。だが海洋ではインド海軍が力を誇示して、中国側の海軍だけでなく、海上輸送路の弱点を意識させることができる。中国側に対して、有事には海上で中国側の輸送路を遮断するぞというメッセージを送り、優位に立てるわけだ」
インド海軍はさらにアメリカやその他の対中有志連合の諸国と兵站上の協力関係をも強めてきた。海上での海軍活動の展開や継続のためにアメリカなどの諸国の海軍の支援を得られるという兵站上の相互援助の協定をすでに結んだのだ。インドはこの二国間の協定をオーストラリア、フランス、韓国などと既に個別に結んで、日本とも同じ趣旨の協定調印を意図しているという。
だからインドの今の海洋戦力の増強はまず中国への抑止であり、米国やオーストラリアなどとの国際連帯の防衛強化策だとも言えよう。日本にももちろん意味のある新潮流である。
古森 義久(Komori Yoshihisa)
1963年、慶應義塾大学卒業後、毎日新聞入社。1972年から南ベトナムのサイゴン特派員。1975年、サイゴン支局長。1976年、ワシントン特派員。1987年、毎日新聞を退社し、産経新聞に入社。ロンドン支局長、ワシントン支局長、中国総局長、ワシントン駐在編集特別委員兼論説委員などを歴任。現在、JFSS顧問。産経新聞ワシントン駐在客員特派員。麗澤大学特別教授。著書に『新型コロナウイルスが世界を滅ぼす』『米中激突と日本の針路』ほか多数。
編集部より:この記事は一般社団法人 日本戦略研究フォーラム 2020年9月30日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は 日本戦略研究フォーラム公式サイトをご覧ください。