東京新聞の社会部記者が、厚生労働省を取材した際に机を叩いて怒鳴ったり、職員の資料を一時的に強奪したりなどの威圧的行為をしていたことが4日、明らかになり、あの望月衣塑子氏の同僚とあってネット上の話題をさらった。東京新聞が同日朝刊で明らかにしたもので、東京新聞側は厚労省に謝罪したとしている。
東京新聞が厚労省に謝罪 記者が取材で暴力的行為(10/4東京新聞)
この件はすでに週刊新潮も把握していたようで、電子版のデイリー新潮は同日ただちに舞台裏を詳報。新潮によると、この記者は過労死問題などを精力的に取材してきた中澤誠記者だという。
机を叩き、怒鳴りつけ、資料を奪おうと……東京新聞記者の異常な取材方法に厚労省が激怒(デイリー新潮)
ヤクザ紛いの取材態度を示す記者は、昭和の時代には珍しくなかったが、平成の30年を経て令和のいまになってもまだ“生存”していたことに驚いた人もいるかもしれない。しかし、私からすれば驚きはほとんどなかった。というのも、東京新聞には活動家紛いの言動をみせる望月氏もいるわけだから、ヤクザ紛いの記者がいたとしても不思議ではなかったからだ。
こうした記者たちが過激化する背景について、私はアゴラや月刊Hanadaで以前から東京新聞のガバナンスが機能不全に陥っていると警告してきた。
昨年12月下旬、望月氏が沖縄タイムスのスクープを数日遅れで、さも特ダネであるかのように書いたことの問題を指摘した際に危険度がピークになりつつあると感じるようになった。
そしてピークに達したと感じたのが今年2月の「事件」だ。望月氏が官邸の記者会見で自分を指させないように記者クラブが謀議していたかのようにツイッターで非難すると、毎日新聞の政治部記者が事実無根だとして異例の反論を行う事態となり、私はそのときコトの本質は東京新聞の記者管理・ガバナンスにあると指摘した。
しかし東京新聞は何も手立てをしていないように見える。いやもうできなくなった。
毎日新聞とのトラブルの翌月、望月氏の著書が原案の映画が日本アカデミー賞で作品賞などの三冠に輝き、とうとう彼女は「銀幕のスター」となってしまった。このとき東京新聞内部、特に社会部では暴走する記者を諌めずとも結果を出せばよいというカルチャーが社内に蔓延したのではないか。
だとすると、中澤記者による今回の暴力的行為事案は、起こるべくして起きた事故である。
中澤記者の言動は記事を読む限り、明らかに威力業務妨害の疑いがある。ほかの職種の人間が厚労省の庁舎内で同じことを演じればただちに司直の手に委ねられるに相当する事案だ。私がもし厚労省の被害を受けた職員ならばただちに刑事告訴するところだし、厚労省は刑事告訴すべきだ。しないなら第三者が丸の内警察署に告発すればよい。
つまり、それだけ社会通念上、刑事事件にならずとも懲戒解雇に匹敵する事案だが、今回も「上級国民」たる記者クラブメディアの特権で、記者職も外されず、せいぜい地方に飛ばされる程度に終わるのだろうか。
私は先日、夕刊フジで「ポスト安倍時代の政治とメディア」と題した集中連載を書き終えたばかりだが、その第1回ではこう結んだ。
「反安倍」で凝り固まってきた左派メディアは、ここで現実的な立ち位置を取り戻さないと糸の切れた凧(たこ)になりかねない。
東京新聞という凧は、反権力という名の雲間に入り始め、いよいよ地面が見えなくなりつつあるのではないか。中澤記者は「取材から外した」(東京新聞記事)としているが、社会通念に相当する処分がくだるのかどうか、凧にまだ舞い降りる可能性があるのかの目安になるだろう。