9月27日、アゼルバイジャン軍がアルツァフ共和国(ナゴルノ・カラバフ)のアルメニア軍を攻撃し、ナゴルノ・カラバフ紛争が再燃した。2016年に両軍が衝突して以来最大の戦闘となった。
7月にも衝突があったがこちらは直ぐ収束した。アルメニア軍は開戦早々にアゼルバイジャン側の戦車を破壊する動画を公開、単なる小競り合いではなく大規模な軍事衝突であることを印象付けた。アルツァフ側はいくつかの陣地をアゼルバイジャン軍に失陥したと発言、アゼルバイジャン軍がナゴルノ・カラバフ占領を目指し軍事行動を起こしたかが焦点となる。
世界は今回の衝突の背後にトルコがいると憶測を巡らせている。アゼルバイジャンはトルコ系民族の国であり国際社会で孤立を深めるトルコの数少ない友邦である。アゼルバイジャンはトルコの関与はないと主張する。
一方、アゼルバイジャンとトルコはアルメニアに責任があると主張する。ナゴルノ・カラバフにおいてアルメニア側がアゼルバイジャンを攻撃するメリットはない。
ナゴルノ・カラバフはアルメニア人が多数を占めアルメニアが実効支配する地域であるが、国際的にはアゼルバイジャン領とされる。アルメニアが色気を出し軍事挑発を行えば、アゼルバイジャンの反撃とトルコの介入により実効支配を失い、さらに国際社会もアゼルバイジャンによるナゴルノ・カラバフ占領を支持することにつながる。
ナゴルノ・カラバフ紛争を理解するためには、アルメニアの歴史を知らねばならない。ナゴルノ・カラバフは歴史的にアルメニア人の土地であった。ソ連成立後アルメニア、アゼルバイジャンという敵国同士が参加することになった。ソ連が産油国のアゼルバイジャン側に与したことによりナゴルノ・カラバフはアゼルバイジャン領に編入されてしまった。
ソ連崩壊前夜、アゼルバイジャン軍と民兵がナゴルノ・カラバフに進駐しアルメニア人の迫害を開始した。眼前で繰り広げられる同胞の悲劇はアルメニア人にオスマン帝国による第一次世界大戦中の虐殺と民族浄化の歴史を想起させ、断固としてナゴルノ・カラバフを防衛することを決意させた。アルメニア軍と地元の民兵の協力でアゼルバイジャン勢力を駆逐し、ナゴルノ・カラバフはアルツァフ共和国として一方的に独立を宣言した。
一方、アルメニアとイランに挟まれたアゼルバイジャン領ナヒチェバンは歴史的にはアルメニア人の土地であるが、歴史を通じて徐々にトルコ系住民の割合が増加し、ナゴルノ・カラバフ紛争時のアルメニア人追放によりほぼ完全にトルコ化された。
ナゴルノ・カラバフとて油断すれば早晩ナヒチェバンと同じ運命を辿ることをアルメニア人は危惧する。アルメニア人にとってナゴルノ・カラバフ問題はただの領土・国境問題ではなく、民族の存亡をかけた問題であることを把握しなければこの紛争の本質は理解できない。ナゴルノ・カラバフが陥落すれば次はアルメニア本国がトルコ・アゼルバイジャンによる民族浄化の暴力に曝されるとの恐怖感がある。
以上の経緯によりアルメニアは常に守勢であり、アゼルバイジャンは占領の機会を伺ってきた。アゼルバイジャンによるナゴルノ・カラバフ占領は、トルコ系民族の版図を拡大することに繋がるため、トルコもそれを悲願としてきたのだ。
29日に関与していないはずのトルコ軍の戦闘機がアルメニア軍の戦闘機を撃墜した。また、それに先立つ衝突当初の27日、シリア人権監視団はトルコが占領するクルド人地域からシリア人傭兵の移動を開始したと報じた。
トルコは同様に介入するリビアへ2万人以上のシリア人傭兵を送り込んでいる。トルコとアゼルバイジャンはこの疑惑を否定している。しかし、リビアからアゼルバイジャンへ不可解な航空便が運行していたことや、既に戦死者が出たという情報も出回っており、トルコがアゼルバイジャン支援のため傭兵を送り込んだことはほぼ間違いない。
オスマン帝国のスルタンを気取るトルコ大統領エルドアンにとって、アゼルバイジャンによるナゴルノ・カラバフ占領は八方塞がりの外征における数少ない成功となる。エルドアンがアゼルバイジャン大統領アリエフをけしかけたというのが真相だろう。
トルコはシリア、イラクに軍を派遣し事実上の戦争状態に突入しており、また東地中海においてはギリシャやその同盟勢力と一触即発の状態が続いているが、正式に国家間戦争へと発展していない。今回の紛争がトルコが介入する国家間戦争に発展すれば、トルコは他の紛争においてもタガが外れ連鎖的に戦争となっていく可能性がある。国際社会は喧嘩両成敗的な仲裁をすべきではなく、紛争の黒幕であるトルコに制裁含め断固とした対応をとることが戦争回避の最善策である。
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並木 宜史(なみき のりふみ)フリージャーナリスト
1992年、東京都生まれ。大学在学中にクルド問題に出会って以来、クルド人を中心に少数民族の政治運動の現地取材を続ける。