2人の枢機卿が演じた「犯罪ドラマ」

やはり少し驚くが、大きな機関、組織となるとその内部ではいがみ合いや陰謀が生じるものだ。世界13億人以上の信者を抱えるローマ・カトリック教会の総本山、バチカンでもその点は何ら変わらない。以下の話は現時点ではまだ憶測の域を出ないが、個々の事実(点)を結び、結びついた線上に浮かび上がってくる「事件の核心」は、バチカン内で2人の枢機卿が激しい戦いを展開してきたことを物語っている。サスペンス小説を読むようなプロットの展開が続くのだ。

▲無罪となったペル枢機卿(バチカンニュース公式サイトから)

▲辞任したベッチー枢機卿(バチカンニュース、2020年9月24日から)

先ず、このストーリーには2人の枢機卿が登場する。1人はオーストラリア教会出身で前財務省長官ジョージ・ペル枢機卿(79)だ。もう1人は最近までバチカン内で権勢を誇ってきた列聖省長官のジョヴァンニ・アンジェロ・ベッチー枢機卿(72)だ。2人ともフランシスコ教皇の信頼が厚く、バチカン内で重要なポストに従事してきた高位聖職者だが、いずれもそのポストから解任され、追放された。

その2人の枢機卿はバチカン時代、嫌厭な関係だったという。前者はオーストラリア教会の大司教時代、未成年者への性的虐待容疑で裁判に訴えられ、一時は6年の有罪判決を受け刑務所生活を体験した。後者は2011年から7年間、バチカンの国務省総務局長を務めていた時代の財政不正問題が躓きとなって、先月24日、自ら辞任をフランシスコ教皇に申し出、受理された経緯がある。

バチカンは神の願いを実行する教会の司令塔だが、そこに勤務する2人の枢機卿は通常の社会では珍しくない問題(下半身問題と金銭問題)に問われ、自身の名誉ばかりか、カトリック教会の威信さえも傷つけたのだ。話はここで終わったら、主人公たちが聖職者というだけで、特筆すべきことではないかもしれないが、今回の不祥事はバチカンの運営にも大きな影響を与えることが予想されるのだ。

ぺル枢機卿は1990年代に2人の教会合唱隊の未成年者に性的虐待を犯したとして、昨年3月、禁錮6年の有罪判決を受け収監されていたが、オーストラリアの最高裁判所は今年4月7日、「被告(枢機卿)の犯行を証明するには不十分」として一審判決、そして昨年8月21日のビクトリア州高裁の控訴審判決を退け、5件全てに無罪を言い渡した。同枢機卿は判決の3時間後、自由の身となった。そして即、バチカンに戻ったという。もちろん、名誉回復という問題もあるが、それだけではない。自身に未成年者への性的虐待の容疑を煽った人物を追及するためだ。具体的には、先月24日、全ての職務を放棄して辞任したベッチー枢機卿と決着をつけるためだ(「バチカンのペル前財務長官、無罪」2020年4月8日参考)。

バチカン消息筋によると、べッチー枢機卿はフランシスコ教皇が新設した財務省のトップに抜擢されたペル枢機卿を追放するため、オーストラリア教会大司教時代のペル枢機卿の未成年者への性的虐待問題を煽り、同枢機卿の性犯罪の犠牲となった証人に何らかの金銭を与えて、裁判で証言するように説得したという。証人を買収したわけだ。ちなみに、その買収資金は行方不明となった70万ユーロだったのではないかといわれている。ベッチー枢機卿は当時、自身の不正財政問題にメスを入れ出したぺル財務長官(当時)をバチカンから追放するために、ペル枢機卿の性犯罪をでっち上げたというわけだ。ここまでくると、サスペンス小説を読んでいるような筋書きだ。

バチカンに戻ったペル枢機卿はフランシスコ教皇に無罪判決の経緯を報告する一方、教皇が信頼している最側近、ぺッチー枢機卿の悪行を報告したのではないか。それを受け、フランシスコ教皇はべッチー枢機卿の解任を決意したのだろう。教皇の信頼を失ったことに気がついたべッチー枢機卿は先月24日、「フランシスコ教皇は、もはや信頼できなくなったと私に告げた」と記者会見で明らかにし、「枢機卿の全ての権利を放棄する」と述べた。一種の犯行告白とも受け取れる。

ぺル枢機卿はメルボルンの大司教時代に未成年者へ性的虐待を犯したとして犠牲者から訴えられてきたが、これまで一貫して無罪を主張し続けてきた。一方、べッチー枢機卿は英ロンドンの高級繁華街スローン・アベニューの高級不動産購入問題での不正容疑のほか、公金を勝手にイタリア司教会議に送金したり、自身の親族が経営するビジネスを支援したり、自身の口座にも献金を送った疑いがもたれきたが、同枢機卿は「不正はない」とその容疑をこれまで否定してきた経緯がある。

バチカンに戻ったペル枢機卿はベッチー枢機卿に会い、激しく追及したという話が流れている。べッチー枢機卿はペル財務長官が裁判で無罪を勝ち取り、バチカン内部の不正財政問題の調査で貴重な証言をしたことを知って、もはや辞任の道しかなくなったのかもしれない。自ら「枢機卿の全ての権限を放棄する」と表明せざるを得なくなったわけだ。枢機卿が辞任するというケースは非常に稀なことだ(「バチカンで権勢誇った枢機卿の辞任」2020年9月27日参考)。

「2人の枢機卿の罪と罰」というタイトルがついた犯罪小説ならば、その筋書きは退屈しないが、これが実話とすれば、驚くというより、呆れてしまう読者も出てくるだろう。忘れてならない点は、両枢機卿ともフランシスコ教皇が高く評価してきた最側近の聖職者だったという事実だ。当然、フランシスコ教皇には「任命責任」とその後の「説明責任」が問われる。それが終わるまでは、「2人の枢機卿の犯罪ドラマ」の幕は閉じることはできない。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2020年10月8日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。