学術会議騒動は「違憲の答弁と手続き」が放置されただけの話

高山 貴男

55年体制の一風景

学術会議の一部会員への任命拒否騒動では1983年の中曽根総理(当時)の「政府が行うのは、形式的任命にすぎません」という答弁との整合性が問われているが、既に指摘されているように中曽根総理の答弁が誤りで、違憲だったのである。

首相在任中の中曽根康弘氏(官邸サイトより:編集部)

ではなぜ中曽根総理は違憲答弁をしたのか。それは当時の社会党議員(粕谷照美氏)が任命の手続きについて学者の利益だけを考え質問したからである。

その姿勢は「言質を取る」だったといっても過言ではなく野党が違憲答弁を誘発したのである。通常、野党は政府与党を問いただす役割を期待されているが学術会議では逆の役割を果たしている。

日本野党は「国民の代表者」ではなく特定党派の代表者に過ぎず、その党派の利益のために政府から都合の良い答弁を「引き出す」ことを優先する。

都合の良い答弁を「引き出す」まで国会を欠席審議を止めたり、場合によっては法案を廃案に追い込むこれは野党というよりも「日程闘争」が常態化した国会の問題といったほうが正確だが、要は学術会議会員の任命の解釈55年体制の一風景に過ぎない

任命拒否は個人の権利義務に影響を与えるのか?

学術会議は特定党派の影響下にあったためか、その主張は違和感が大きい。例えば任命拒否された学者はその理由を求めているが、組織体では通常、人事理由は対象者に説明しない。学術会議会員の身分は国家公務員だが、任命拒否の理由を説明するとなると他の国家公務員にも人事理由を説明しなくてはならなくなる。それが非現実的な話であることは容易に想像できよう。

任命拒否された岡田正則教授は「行政法では、理由を示せない行政処分はない。理由を説明できないなら処分してはいけないのです」と語る(参考:日本学術会議任命拒否は「学問の自由」だけの問題ではない。法治主義や民主主義そのものを壊す蛮行が、判例では行政処分について

行政庁の処分とは、(中略)行政庁 の法令に基づく行為のすべてを意味するものではなく、公権力の主体たる国または 公共団体が行う行為のうち、その行為によつて、直接国民の権利義務を形成しまたはその範囲を確定することが法律上認められているもの

とする(判例参照)。

学術会議会員に任命されなかったことで岡田教授個人の権利義務の形成、範囲確定にどんな影響が出たというのだろうか。ある公的組織の成員になれないことで国民の権利義務の形成、確定にどんな影響が出るというのだろうか。

任命拒否について岡田教授は手続き論だけではなく自らの権利義務の形成、範囲確定の観点からも語るべきではないか。

素直に行政処分に理由提示が義務づけられている根拠を考えれば、それは基本的人権を守るためであり特定の学者望む地位を与えることではないはずである。 

「違憲の答弁と手続き」が放置されただけの話

今回の学術会議の騒動は「違憲の答弁と手続き」が放置されていただけの話であり、それ以上でもそれ以下でもない。

ではなぜ「違憲の答弁と手続き」が放置されたのか。その理由は単純で学術会議が世論の関心から外れていたからである。今回の騒動で初めて学術会議の存在を知った方も多いだろう。

東京・六本木の日本学術会議(編集部撮影)

重要なのは護憲派の左派政党が政府から違憲の答弁を引き出し、違憲の手続き黙認したことである。

同じく護憲派左派マスコミ内閣府所轄の「権力」である学術会議を全く監視してなかった

今回の騒動を見てもわかるように日本の左派は自らの利益のために日本憲法の特定条文を強調、強要する左派にとって日本国憲法は他人を攻撃する道具に過ぎず違憲云々はどうでもよいのである。

左派がすなわち日本共産党、立憲民主党が政権与党になった場合、個人の自由と人権は危機に陥る。

菅首相期待されていることは「改革」を通じて、公的・公共機関から、特定党派による過度な影響力を排除し、公共性を取り戻すことにある。