台湾の蔡英文総統は双十節の10月10日、恒例の記念演説を行った。双十節とは国慶節とも呼ばれる中華民国の開国記念日で、その由来は、孫文らが清朝を倒した辛亥革命の発端となった武昌蜂起の1911年8月19日が太陽暦の10月10日に当たることから。
今年の演説は邦訳ベースで約7000字と昨年の倍の長さだった。国際社会の多くが未だ呻吟する中国発のコロナ禍を防いだ台湾、その初期情報の隠蔽や人権侵害などを理由に西欧社会が包囲網を布きつつある中国からの深刻な脅威に晒されている台湾、その現況を反映した長口上だ。
演説の表題項目と配分は、「パンデミック予防での世界貢献」が19%、「新しい状況のための経済戦略」が26%、「国家安全保障を維持するための強固な国防」が21%、「地域連携に積極的に参加」が17%、「結論:課題を克服するための団結と協力」が17%となっている。
冒頭にコロナ防疫の成功を置いたのは、中国に壟断されたWHOから締め出されたにも拘らずパンデミックを防いで、国際社会から称賛された蔡政権の意地と自負の発露か。
次の経済戦略もコロナ禍を避けて大陸から回帰しつつある台湾企業についての言及が多くを占める。
国防は勿論のこと、続く二項目も、いつ現実化するかも知れぬ中国の脅威からの安全保障に関連した内容だ。本稿では、演説の概要とこれに対する中国の反応について少しく触れてみたい。
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「パンデミック予防での世界貢献」では、都市や学校の封鎖をせず、イベントも開催しつつパンデミックを防いだ台湾防疫の成果を語り、医療資材などを世界中に送ることができたとして、台湾のユニークな国柄と能力と回復力が世界に良い印象を与え、グローバルモデルになったとした。
そしてこの成果が台湾人の団結と協力の結果だとし、医療検疫関係者、医療資材製造業界、アプリを開発したハイテク業界、マスク配布に貢献した薬剤師やコンビニ従業員、そして政府の疾病管理措置を秩序正しく守ってくれた国民への感謝を述べた。
森喜朗元総理、チェコのビストルチル上院議長、米国アザー厚生長官、クラック国務次官が敬意を伝えるため台湾を訪れたことにも触れ、台湾の人々は刺激を受けたと思うと述べた。森元総理の名を最初に挙げてくれ、気分が良いではないか。
「新しい状況のための経済戦略」では、パンデミックが制御され、長年の資本流出傾向が逆転したとした。これは馬英九政権の「三通」で大陸に進出した企業が台湾に戻りつつあることを指す。一時はスカスカだった高雄の輸出加工区も、今は満杯とのことだ。
サプライチェーン、技術協力、インフラ整備などの再編成のため、米国とのハイレベル経済対話を開催し、南北アメリカとインド太平洋地域のインフラ計画に共同で参加するとして、台湾経済を創造するための主要戦略を三つ述べた。
一つはサプライチェーン再編への全面的包括的な参加、二つ目は台湾を国際的な資本、才能、デジタル技術のハブにすること、三つ目が経済と社会の発展のバランスをとることだ。特に二つ目の国際資本のハブ辺りは、香港を意識してのことか。
「国家安全保障を維持するための強固な国防」では、最高司令官たる蔡総統自ら時間があるときは、山頂の空軍レーダー基地、海上を警備する海軍艦隊、野外での軍隊の砲兵訓練、そして若い下士官を訓練するアカデミーを訪問している、と述べる。
24時間体制で国防に尽くしている軍人に感謝するだけでなく、市民に知識、自由、民主主義を与えるために私はそれをすると述べ、職務中に命を落とす者もいるが、その勇気と責任感に感謝し、我が軍隊を誇りに思うとした。現場の士気を重視していることの表れだろう。
さらに海峡の向うからの軍事的拡大と挑発に対処する軍用ハードウェアの高度化に加え、人材の育成に注力し、志願の将校や兵士の専門性の向上及び軍人の質と能力を高めるための効果的な予備軍システムの確立のため、常任軍と予備軍を統合する制度改革にも言及した。
最後に、国防省は、人民解放軍の活動について報告し、近隣諸国と情報を交換し、安全保障上のパートナーシップを強化することや、台湾海峡の状況について国民に情報を提供し続け、国防全体を固めることを述べ、人々に安心を与えた。
「地域連携に積極的に参加」では、南シナ海・東シナ海での紛争、中印国境紛争、香港版国家安全法など、インド太平洋の平和と繁栄が深刻な課題に直面しているとし、「私は海峡の指導者(=習)が国連のビデオメッセージで、中国が覇権、拡大、勢力圏を求めることは決してないと公に述べたことを知っている」と述べた。
中国の「反国家分裂法」(05年)第1条には、台湾独立力が国家を分裂させるのに反対・阻止し、祖国平和統一を促進し、海峡地域の平和安定と国家主権および領土保全を守る、などとある。蔡総統は習発言を「台湾海峡で覇権拡大をしない」と翻訳することで言質を取った格好だ。
続けて、私たちは両岸問題に急いで行動せず、両岸の安定維持を約束するが、これは台湾単独で担えない双方の共同責任としつつ、有意義な対話を促進するための協力を厭わないと述べた。筆者はこの発言を、台湾を歴とした国家と位置付けた巧みな言い回しと思う。
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この蔡演説に対して、中国共産党機関紙「人民日報」の姉妹紙である環球時報の胡錫進編集長は10日、早速こう嚙みついた。
「中国本土は、台湾島の特定の部隊が自制することを確実にするために、台湾島上でいつでも起こせる強い軍事的圧力を維持しなければならない。我々は幻想を抱いてはならない。海峡全体の平和を維持するための基礎は、軍事闘争への確固たる準備だけだ」
同紙は11日の社説*でも、蔡演説は戦術であり、海峡の状況は悪化している、人民解放軍は明確な警告のため一連の戦闘演習を実施したと述べ、蔡当局からの挑発で戦争のリスクは急激に高まっていると書く。そして中国本土には「台湾の離脱」を強制的に阻止する決意があるとした。
この反射的な激しい物言いに、かつて毛沢東や鄧小平らにあった懐の深さ(と、その裏にある不気味さ)は微塵もない。環球時報が中国共産党機関紙の系列であることを考えれば、習近平の共産中国が相当に追い詰められていることの現れと筆者には映る。
一方の蔡英文政権は、中国やWHOのいじめに遭いつつも独自の政策でコロナ禍を克服し、これを称賛する国際社会を味方につけた。蔡演説にはこれらの事実や、中国の深刻な圧力に団結して対抗する台湾の決意をふんだんに盛り込んで、国民と世界に訴えている。
台湾内にも歴史的転換の兆しがある。親中野党の国民党が蔡政権に対し、米国との国交回復を積極的に推進すること、及び中国機による頻繁は領空侵犯に対して米国との一層の軍事協力を進めることの二つを要求する決議案を出し、6日に与野党一致で可決したのだ(*8日のApple Daily)。
この背景には、上述の米高官の台湾訪問や9月末のクラフト米国連大使による台湾国連加盟の支持表明、そして米共和党下院議員が9月半ばに台湾との国交回復を求める法案を議会に提出したことなどがあるとされる。
但し、この国民党の方針転換には、蔡政権から米国に圧力を掛けさせて米中対立を煽り、それによって台湾内の反蔡政権機運を高める狙いがあるかも知れぬ。あるいは共産中国の国際的孤立ぶりに見切りをつけ、真に対中政策を変えたかも知れぬ。
いずれにせよ、台湾海峡波高し、には違いない。