モノの価値とは何でしょうか?希少性、満足感、人気、必需性などいろいろ考えられます。例えば秋葉原で販売されているオタクグッズ。なぜ、注目され、そこに人が群がるかと言えばそこにしかないというよりそこで同じタイプの人間が集まることに一種の快感を求めることもあるでしょう。それは一般には理解しにくく、普遍性がないことに意味があります。100人か1000人に一人でもそれに気がつき「いいねぇ」というと「お主、分かるではないか」という仲間意識ができるのであります。
それが必ずしも高級、希少である必要はありません。私が小学生の時は「仮面ライダーカード」が大流行し、お菓子の部分を捨て、カードだけを集める生徒が続出、食べ物を粗末にするという社会問題が発生したのをよく覚えています。
これがスマホになるとアップルやサムスンの価値というよりどちらのファンか、ということになります。これは販売力、製造能力の汎用性が高く、希少性はないため、争って購入し、プレミアムが付くわけではないからです。例えばアップルウォッチとiPhoneとフィットネスアプリの動画をリンクさせてエクササイズすればジムに行く必要がなくなるのは囲い込みという価値ですが、他社が簡単に対抗的サービスを提供できる余地があります。
一方、ルイヴィトンもティファニーも有名なデザイナーブランドでありますが、好き嫌いが出る故の価値と原価よりも高額なデザイン代を消費者が支持するところに価値があるとも言えます。
では本題の自動車に価値はどうでしょうか?そのブランドにしかないという圧倒性と絶対性を打ち出せれば価値につながりますが、頭一つリードしているテスラになかなか誰も及ばないのはなぜなのでしょうか?
一つには自動車各社が巨大組織化し、トップの鶴の一声でどうにでもなるのがテスラのイーロンマスク氏ぐらいだから、という見方はできるでしょう。言い換えればあの会社はあの規模だからこそ、大暴れできるとも言えます。テスラが世界を席巻するようになればテスラのプレミアムは少しずつ剥げてくるというのが一般的な傾向だと考えています。つまり、プレミアムという点では今がピークかもしれません。
日本の自動車業界はなぜ伸び悩んでいるのでしょうか?どの会社の車も80点以上の車だけどどうしてもそれでなくてはいけないという革新性や斬新さがないから、ということかと思います。燃費や航続距離、静寂性や乗り心地、視認性や安全性などは世界中どの自動車会社も必死に研究開発しています。結果として自動車ショーに行ってもデザインや内装など表層的な良しあしはともかく、結局どれも似たり寄ったりで差別化しにくくなりました。
最近当地でやけに目に付くのがベンツの「ゲレンデ」。なぜ、このごつい車が求められるのか、人々は常に価値を探し求めているのかもしれません。
日本の自動車会社は3社に再編されるのでは、と最近改めてささやき始められました。トヨタ、日産、本田を核としたグループです。40年前にすでに指摘されたことが今、改めて言われているわけです。その時に再編していれば画期的だったと思いますが今、再編しても鉄砲の時代に槍をもって戦う兵が増えるだけという気がします。
自動車に求める価値とは自分で支配する乗り物を操作し目的を達成することがキーでした。過去何十年かはその操作性、スピード、快適性や豪華さがエレメントとして求められました。では我々はタクシーや電車や飛行機にどれだけのものを求めるかと言えば選択肢が限られていることもあり限定的です。タクシーがハイヤーになるのか、グリーン車に乗るのか、ビジネスやファーストクラスに乗るのかといった程度の選択肢です。
自動車が自動運転の電気自動車になった場合、差別化は極めて難しくなると思います。その一つは自動運転により自分の支配権がなくなることです。とすればここにどんな付加価値を付けるのかが自動車業界のキーであり、その価値とはまるで想像もしなかったようなことだろうと思います。
「うまい寿司が食べたい」と指示すればAIがその人の懐具合、好みを判断してベストなところに勝手に連れて行ってくれるとか、「大阪までひとっ走りしておくれ、僕は後ろで寝ているから」となれば車にシートではなく、ソファーかベッドが必要でしょう。「ここは駐車場がないから俺を下ろしたらそのあと、待機場で待ってくれ。5分前になったら呼ぶからここに迎えに来てくれ」というのもアリでこれは所有者の支配権下に戻ります。
こうなるとパーソナルアシスタントそのものであります。お抱え運転手兼秘書付き自動車が私の想像できる限界です。きっとそんな車ができるようになれば次は違うことを考えているでしょう。
中国ではすでに自動運転のタクシーが実用実験の段階に入っており、利用料無料で使えるそうです。自動運転という観点は既に通過点で自動車各社はその次の価値を見据える必要があります。中国は共産圏だけに国権でルールをいくらでも変えらえる強みがあります。つまり一晩明けたらルールがすっかり違っていてもアリなのです。日米欧ではとてもじゃないですが太刀打ちできない社会構造です。
私は自動車会社が束になって販売台数を追及したり車体の共有化によるコスト削減という何十年も続いたその発想からそろそろ脱却し、抜本的な価値創造の算段をすべき時期に来たと思います。トヨタはダイハツやスズキ、スバルなど抱え過ぎている気がします。このスタイルはVWがブランドをたくさんぶら下げた20年前の手法でトヨタが進むべき進路は違うんじゃないかと思っています。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2020年10月16日の記事より転載させていただきました。